ふとしたきっかけで鉄道趣味の面白さに再び目覚めた。楽しみ方は色々鉄道趣味は奥が深い。私の趣味活動をほんの少し披露し、併せて伊賀地域の鉄道の将来について考えます。
 
2010/03/22 21:37:20|鉄道模型その他
柘植駅開業120周年記念 鉄道展
 JR柘植駅が開業して今年で120年になるのを記念して、柘植歴史資料館で鉄道展が開催されています。同資料館では過去にも鉄道の町として栄えた場所柄、鉄道に関わる企画展を開催してきましたが、今回は同館所蔵の資料や地区在住の国鉄職員OBの方などの協力によって約180点もの資料を展示しています。
 先日来、機会を見つけて訪れようと思っていましたがようやく行くことができ、貴重な資料を拝見してきました。
 展示内容は柘植駅にちなむ写真などの関係資料のほか、国鉄OBの方からお借りしたものと思われるものなど過去の企画展では見られなかった貴重なものが多数ありました。特に注目したのは、柘植駅開業時の関西鉄道(当時)社長から届けられた招待状や当時の乗車券、SL時代に使われた客車に付けるホーロー製の行き先板、亀山機関区に所属し関西本線や草津線で活躍したC51型100号機のナンバープレートでした。また、柘植駅駅舎に掲げられていた木製の駅名表もあり、あとで聞いたところ、何らかの経緯で散逸し個人所有となっていたものをその方の篤志により、地元に戻すため駅近くの資料館に寄贈されたとのことでした。書は地元に在住した有名な書家の手によるものとのことでした。
 三重県内で最も古い鉄道駅として開業し、草津線、関西本線の結節点として繁栄した柘植駅の歴史を振り返り、これからの同駅のあり方を考える良い機会になるのではないでしょうか?鉄道展の開催は3月25日までとのこと。残り日数も少ないため興味のある方はお急ぎを。







2010/03/10 20:43:14|撮影日記
草津線(柘植駅)開業記念復刻駅弁
 先日もレポートしましたが、今年は、JR草津線(柘植駅)が開業して120周年を迎えます。2月20日の記念列車運転では大勢の人たちが柘植駅に集まり祝賀ムードに包まれたところです。
 今年は、多くの開業記念の関連イベントの開催を期待したいものですが、私が先日のイベントで記念列車の運転以上に印象深かったのは、草津駅で販売された復刻版柘植駅の駅弁でした(画像のとおり)。
 これは、かつて、柘植駅構内で立ち売りによって販売されていた駅弁を復刻したもので、柘植駅が長距離列車の停車、乗換駅として機能していた頃に販売されていたものと思われます。
今も柘植駅前で喫茶、土産物店を営んでおられる「中村屋」さんがこの駅弁を製造販売されていたとのことで、今回の復刻駅弁も「中村屋」さん所蔵の当時の弁当掛け紙のデザインを踏襲しています(製造は別業者とのこと。)。中味は、当時のメニューと同じかどうかは分かりませんが、大きなエビフライに魚の照り焼き、牛肉の時雨煮など盛り沢山のおかず類と小ぶりの太鼓状のおにぎりが整然と並んでいます。決して大きくはありませんが、最近の駅弁にはない懐かしい素朴な味の駅弁でした。掛け紙には忍者の絵や芭蕉生誕の地にちなみ有名な「ふるさとや臍の緒に泣く年の暮れ」の句が添えられています。それとユニークな「気持ちよくひと膝譲ってもうひとり」のいかにも駅弁らしい一句?も書き添えられていました。
 残念ながら、この復刻駅弁の販売は柘植駅ではなく、記念列車の始発駅であった草津駅のみの限定販売でしたが、私は知り合いのご配慮で運よく入手することができ、草津線の車内でいただくことができました。大勢の旅行客で賑わった草津線や柘植駅の往時の様子を思い浮かべながら美味しく賞味させていただきました。願わくば、今年、記念すべき年のうちに、今度は柘植駅で復活販売されることを期待したいと思います。







2010/03/01 21:17:49|伊賀線のこと
伊賀線の新車がやって来た!(その8)   
 伊賀線新車両第2編成として導入された元東急1000系が、上野市車庫で整備完了し、28日(日)、本格的運用を前にお披露目イベントが開催されました。

 新編成は、先に登場した青忍者編成と同様、松本零二氏デザインのピンクの「くの一」を車体全体に描いたラッピングを施してあり、一見すると、先ごろ引退した860系旧「くの一」編成と似たデザインとなっています。
 車内装飾も青忍者編成と同じように、化粧壁などに板塀を模した木目調の図柄を、床には石畳を描いてあるなど城下町の町家をイメージしたデザインが施されています。
 座席配置も青忍者編成と同様、固定クロスシートとロングシートを配したセミクロス仕様となっており、伊賀上野を訪れる観光客を意識した仕様となっています。

 新「くの一」編成の導入により、平成21年度導入予定の新車両が出揃ったことになりました。これらの編成が共に忍者ラッピングを施されたことで、今後、春に上野市街地で開催される「伊賀上野忍者フェスタ」など大型イベントにおいても、伊賀線を内外にアピールし、同線の活性化に寄与することを大いに期待したいと思います。







2010/02/21 21:43:48|撮影日記
草津線開業120周年記念列車 
 2月20日(土)、草津線に開業120周年記念列車が運転されました。

 JR草津線(草津〜柘植)は、今から120年前の1890年(明治23年)2月19日に民営の関西鉄道によって全線開通しました(関西本線はこれより7年も後に柘植〜加茂間が開通しています。)。開業の経緯は、官営の東海道本線が旧東海道のルートではない米原経由で敷設されたため、草津から柘植を経て四日市に至る旧東海道ルートの鉄道は民間の手で敷設されたとのことです。このようなことから、かつては、東海道本線のバイパスルートとしても機能し、大雪などで米原経由の東海道本線が不通になった際、かの特急「つばめ」が草津線を迂回することもあったそうです。伊賀市の北東に位置する柘植駅は、草津線開業と同時に設置された三重県内では最も古い鉄道駅であり、東京、名古屋、大阪、奈良、京都、伊勢市、鳥羽、紀伊勝浦方面などを結ぶ多数の列車が行き交う鉄道の要衝でもありました。蒸気機関車隆盛の頃は、加太越えのために使用される補機(山坂区間で後押しする機関車のこと)用に駅構内のはずれに転車台を備えた機関支区も置かれ大勢の鉄道マンが働いていたそうです。電化開業は、今から30年前の1980年(昭和55年)で、三重県内で最初の国鉄(当時)電化駅となりましたが、名阪国道の整備推進などで次第に利用客が減少し、駅は数年前に無人化され、今は委託の駅員のみが常駐するだけになりました。往時の面影をとどめる長いホームと広い構内、開業当時から残るレンガ積みの構造物などはまさに偉大なるローカル駅ともいえる存在感を示しています。
 
 今回の記念列車は、歴史ある草津線の記念日を祝し、沿線の魅力の再発見と同線の活性化に資するため、関係団体が主催して、草津〜柘植間にジョイフルトレイン「あすか」号を仕立てて運行されたものです。私は、この記念すべき列車を油日〜柘植間で走行シーンを、その後は柘植駅に移動し列車の入換え作業などを見ることができました。柘植駅では駅舎が紅白幕で飾られ、訪れた大勢の人たちに、鉄道OB会や地元自治組織が甘酒の振る舞いを行うなど、歓迎と祝賀ムードに包まれていました。

 DD51ディーゼル機関車が牽く客車列車が同線に運転されるのも最近はすっかり珍しくなっており、まして機関車のプッシュプル(前牽き後押し)で客車を牽引することも大変珍しいため、大勢のファンが撮影のため沿線に詰め掛けていました。
 ところで、1週間前にも関西本線を経由して今回と同じ「あすか」号の運転がありましたが、その際、撮影ポイント近くの線路敷地内に撮影者が侵入し、他の列車の運行を妨げるという信じられないことが起きました。1万人以上の人が影響を受けたとあって大きな社会問題となり憂慮される事態となりましたが、この一件を耳にしたとき、1週間後の草津線の記念列車運行についても影響しないか危惧していたところでした。同じ趣味を持つ者として本当に腹立たしい思いがしましたが、今回の運転が大きな支障なく終えられたことに心底安堵した次第です。

※追伸:後日報道されたところによると、記念列車の運行は問題なかったものの、運行後の回送列車が草津駅に停車中、またも撮影者の線路内侵入があり、列車の運行に影響が出たとの事。先日の一件では、JR西日本側が告発をしないという寛大な対応を示してくれたというのに、一体どういうつもりなのでしょうか?立派な法律違反だということを認識させる必要があるようです。







2010/02/11 23:19:59|伊賀線のこと
くのいち号さよなら運転(その2)

日曜日に催された“くのいち号”の引退記念イベントには、私も子供を連れて参加しました。上野市車庫の側線に置かれた車両は車内開放され、写真パネルの展示やグッズ販売などが行われ、多くの人達で賑わっていました。行き先板受けには惜別の板がはめられており、私達も皆に混じって思い思いにカメラを向けました。
 午後は、伊賀鉄道友の会の総会を兼ねたさよなら運転が上野市〜伊賀神戸間を1往復するとのことから、沿線での走行写真を撮るべく上林〜比土間のお気に入りの撮影ポイントで列車を待ちました。線路を見下ろす橋梁上で往路を撮ったあと、丸山駅の南側で復路を撮り帰路につきましたが、列車交換待ちのため停車していた猪田道で追いついてしまい、駅北側の踏切から近鉄カラーの編成との並びを撮影することができました。
 近鉄奈良線、生駒線を経て昭和59年に伊賀線に入線して以来早や26年、晩年はピンクの忍者塗装となり、相棒の青忍者編成とともに一躍人気者になり伊賀線のシンボル的存在となりました。私達家族にとっても、ギャラリー列車で子供の絵を飾ってもらったり、子守を兼ねて乗車したりと大変思い出深い車両でありました。
 私達は、慣れ親しんだ鉄路を走り去る“くのいち号”の姿を感謝と惜別の思いで見送りました。