ふとしたきっかけで鉄道趣味の面白さに再び目覚めた。楽しみ方は色々鉄道趣味は奥が深い。私の趣味活動をほんの少し披露し、併せて伊賀地域の鉄道の将来について考えます。
 
2020/03/07 14:08:00|その他
惜別 鮮魚列車
魚行商者の専用列車として、約50年、伊勢と大阪の間で運行されてきた近鉄の鮮魚列車が今春のダイヤ改正で姿を消すことになりました。
廃止間近の先日、その姿を記録しようと早朝から伊賀神戸駅まで出掛けてきました。廃止が発表され、マスコミでも報道されたこともあり、スマホやカメラを向ける人もおり、関心の的になっていることが伺えます。
車両は古い通勤型車両を使用しており、全体にマルーン一色を纏った近鉄旧塗色。前面に白のヒゲを配しているのが特徴です。行き先表示幕に鮮魚と記されているのが面白いのですが、大阪寄先頭車の装置が故障したらしく、鮮魚列車と書かれた懐かしい看板を掲げており、これはこれで引退前の演出としても良かったのではと思います。
子供の頃、伊賀上野の市街地でも伊勢から来る行商の魚屋さんが居て、朝から澄んだいい声で、“あさりーあさりー”と声をかけて街角で店開きされていたのを思い出します。今はそんな人も居なくなって久しく、撮影した鮮魚列車も乗客はなく空気輸送でした。時代の流れとはいえ、地域独特の風物がまた一つ消えるのは寂しいものです。
なお、ダイヤ改正後は、専用列車としてはなくなるものの、定期列車に1両の専用車両を連結した形で継続するようです。







2020/02/22 22:24:03|伊賀線のこと
忍者市駅新装なる
忍者市駅こと伊賀線(忍者線)上野市駅の駅舎が、忍者の日である2月22日、耐震補強工事の施工と伴にかつての装いに姿を変えてお目見えしました。
屋根はまばゆいばかりの茜色、壁面はベージュとなり、伊賀上野中心市街地のシンボルとして、ひときわ目立つ存在となりました。
約40年前の姿に戻ったとのことで、私も壁面の色合いやサイドのデコボコした部分は何となく記憶にあります。大正生まれの由緒正しき駅舎が、これまで大切に使われて来たことは素晴らしいことだったのですが、以前の薄い青色を基調とした色のとき、観光客が駅舎を見て、色が残念だなと聞いたことがあり、今回、温かみのある当時の色に復元されたことは大変良かったと思います。
これからも多くの人に愛される駅であり続けて欲しいと願っています。







2020/02/16 22:00:00|撮影日記
田原本線の復刻塗装車

 奈良県の近鉄田原本線(新王寺〜西田原本)は、私にとってあまり馴染みのない近鉄支線の一つですが、歴史は古く開業は大正7年。2018年に100年を迎えたとのこと。路線図を見れは、他の路線と繋がらない離れ小島のように見えますが、近鉄京都線と連絡線を通じつながっていて、車両の送り込みが行われます。近鉄本線系と同じ標準軌間ですが、全線単線で、路線の雰囲気はローカル線然としており、田園の中をのんびりと走る様子は伊賀線や養老線にも通じるものがあります。 そんな田原本線に懐かしい塗装の車両がお目見えしたとのことで少し前になりますが、訪ねてきました。
 復刻塗装車の運用は公開されておらず、行き当たりばったりで1回目は出会うことができず、2回目でダークグリーン車、3回目でマルーン塗装車に出会えました。京都線や奈良線でも運用されるそうで、出会う確率はあまり高くないのかもしれません。
 まずは、マルーン塗装車。かつて奈良線で活躍した820系がモチーフのようで、860系が活躍した伊賀線でも晩年に同じ塗装が施されたのを思い出します。近鉄通勤車両のデザインには良く似合うようですね。ダークグリーン塗装車も昭和30年代の近鉄標準色でこちらも伊賀線860系で施工されたことがあります。
 近鉄では、最近でも志摩線などで旧三重交通時代の塗装に変更した車両を登場させるなど、しばしば記念の復刻塗装を施す例がありますが、鉄道への関心を喚起することに資するものとして好ましい取り組みと考えます。

※画像上=マルーン塗装の8400系、下=ダークグリーン塗装の同車
いずれも大和鉄道時代の社紋を描いた看板を掲げる。







2020/01/18 10:01:05|遠征記
いすみ鉄道訪問記3
 「ここには何もないがあります」と謳う「いすみ鉄道」を再訪してきました。
 今回で4回目の訪問となりましたが、目的は大きく3つありました。一つは、クラウドファンデイングの手法で国鉄一般色に塗り替えられたキハ52の姿を拝むこと。二つめは前回の訪問時にあいにく検査期間と重なったため、乗車が叶わなかったキハ28に乗車すること。三つめは、公募社長として様々な施策を打ち、同鉄道の名を全国区に高めた鳥塚社長が勇退された後の様子を見たかったことです。また、特に今回は、朝から夕方までの丸一日、貴重な国鉄型気動車に揺られながら、行ったり来たりの「乗り鉄」を楽しみ、昭和の国鉄ローカル線の雰囲気を堪能することに重きを置きました。
 率直に何度訪れても、この鉄道の魅力は色あせることはないと実感しましたが、経営の見直しによるものか、昭和の急行列車は前回よりも減便となり、終点の上総中野まで直通する列車も減っていたようでした。恐らく、古い車両の負担を軽減するための措置なのでしょうが、レストラン列車のツアー客以外の一般客は前回までより少ない感じがしたのが気になりました。関東周辺でも多くの鉄道が活性化を目指して、様々な魅力的な列車の運行を行っていますので、仕方のない事かも知れません。しかし、貴重な国鉄型気動車とそれが似合う沿線風景という他にはないアイテムを活用した独自のアイデアでこれからも他の鉄道のお手本であり続けてほしいと切に願うところです。
 大原から車両基地がある大多喜へ戻る、最終の急行列車は、私を含め数人程度の乗車だったこともあり、キハ28の4人がけボックスシートを一人で占領し、窓を大きく開けて、心地よい風を浴びながら、ディーゼルエンジンの唸る音と、レールを刻むジョイント音に耳を傾け、その昔に、関西本線で味わった感覚を思い出す至福の時を過ごすことができました。令和の時代になっても、これが体験できることに感謝です。
 ※画像上=多くの支援で塗り替えられて綺麗になったキハ52、画像中=全国で唯一、キハ28(58)型が現役で走る。画像下=本線走行は出来ないが動態保存のキハ30も所有する。
  







2019/12/27 10:39:00|伊賀線のこと
祝 伊賀鉄道200系導入10周年
 早いもので、今年の12月24日で、伊賀鉄道に現在の200系車両が初導入されて10周年になったとのこと。
 もうそんなに月日が経ったのかと、今さらながらに驚きますが、新車両が何になるかの推測に始まり、実際に運用が始まるまで、ワクワクした気持ちで待ったことが懐かしく思い出されます。
 搬入時などの当時の様子も、当ブログで紹介していますので、良ければご笑覧ください。
 伊賀鉄道では、このことに合わせて、青とピンクの忍者編成に記念のヘッドマークを掲出したり、記念グッズを販売開始していますので、ご乗車の記念にお買い求めいただければと思います。
 また、12月22日には、記念企画として、最近、メーテルに扮した物真似でテレビ等で活躍されている、講談師の旭堂南鈴さんをゲストにお迎えしたイベント列車も運行されました。こちらも早々に予約完売になるという人気ぶりだったようです。
 すでに、忍者列車といえば、伊賀上野観光のシンボル的存在ともいえるこの200系、これからも地域の振興に大いに活躍してくれることを期待します。