干物ヲヤヂの日記?ブログです。大好きな綾瀬はるかさんのこと、鉄道、旅、酒、ゴルフなど。
 
2020/11/18 11:42:01|小さな旅
Time To Say Good-Bye

2年間 最高に愉しんだ Z900RS
彼を手放すことにした

還暦を過ぎてから 復帰意欲を 猛然とかき立てたバイク  KAWASAKI  Z900RS

いやー よく走ったなぁ w
もう 天気が良いと 走りに出かけずにいられない ような 中毒性の高いw バイクだった

最高のエンジンフィールと排気音
抜群のヒラリ感 
で 普通のワインディングロードはもちろん
細い山道 峠道 もヒョイヒョイ
時として 砂利道や砂浜にも w
いやー 本当に最高だった

ん ?
なぜ 手放すのか? って

脱石油燃料の社会目標が叫ばれる折・・(違)

いやいや 
この齢だし
元々 (ライディングの)技量も高くない
今まで 無転倒 無事故 (立ちゴケを除くw)
だったのは とてもありがたくて
(それもマシンの性能かな)
この先 その幸運が続くとは・・・

なので 無事なうちにお別れ
(マジ もう少し乗ると 情が移って手放せなくなる)

本当にあちこち出かけて 
写真もVもいっぱい撮った w
美しい記憶は 美しいままに w

それに
二輪の友人と一緒に楽しむなら それもアリ だろうが 
のんびり走れない性分 w というか・・
休まず寄らず 会話せず コミュ障みたいな(←「みたい」じゃない) woyajiは ・・

バイクに取り付けたVカメラで撮った走行動画を
繰り返し 見てばかりいるような woyajiは・・
 
Z依存症 的現状を顧みるに
やはり 心頭滅却 するべきかと・・

ここんとこ 近辺の道を走っていると
ちょっと 飽き を感じ
「遠くへ行きたい」 (←ムリ) とばかり 思ってしまう  
ので 今が 別れ時 かと・・

あー 愉しかったなぁ
ヤツは woyajiと違って
旅先での 写真映りもサイコーだった
あー アレもコレも 「いい想い出」 になるのだなぁ w



ADIEU  Z900RS

ありがとう!


写真 @ 伊勢志摩スカイライン 2020.10
写真 A 雲出川河口 2020.11
写真 B 伊勢奥津駅 2020.11 (Last Run)
写真 C 美杉 雲出川 2020.11 ( 〃 )


P.S.
二輪の愉しさ から足を洗ってしまうのは
もったいない(?) 
ので バイク屋さんで
今度は 小さいバイクを予約した (来春 納車?)

だって
Zで 山道とかばっかり走ってるわけだから
もしかしたら その方があう かも

本当は 公道の走れるトライアルバイクが好き
けれど ・・
それもまあ 善し悪し w なので

では また

 







2020/11/09 10:15:00|江州のセロ弾き
「演奏」ということ
人前で演奏するということ 
を 初めて 体験した

音楽教室の先生のおはからい
経験の浅い生徒たちが 一皮むけるw ように

30人くらい 集まって
互いに(順番に) 弾き合い 聴き合う場として

先生から話があったとき
うまく弾けないのに ナニをしろ と?  訝しんだw 

予想どおり  音の出が悪く ミスもしました 
けれども 良い経験でした
「なるほど やってみるもんだ・・」と

巧く弾けないのは・・  woyajiだけではありませんでした
けれども 皆 真摯に聴き合っていました
ミスがあっても失笑など起こることはありません
誰も皆 簡単に巧くは弾けないこと
そして どんなに努力しているか知っているから

自分は 誘っていただいた時にやっていた課題曲を
そのまま選びました(短い曲)
が 他の人たちは 好きな曲を選んで練習していたようで
わりと 曲が長い (のが驚きでした)

この曲だけ けっこう練習したけれども
10回くらいは繰り返さないと まずまずにすらならない
翌日は また同じパターン・・
なのに
woyajiは・・ 練習していて 
巧く弾けた部分の記憶を 都合よくつないで 脳のメモリーに取り込む傾向があるようで
実際より巧いように思い込んでいるフシ があります

そう ゴルフもそーやん!
アレは なんなんでしょう?
ゴルフは スコアで一目瞭然 w
チェロは ビデオに撮ったらよくわかります w

良いイメージを持つ というのはいいと思うけど ね

演奏家の人たちは 
(たぶん)元々 才能ある上に  一日10時間とか
とても長い練習時間(率)によって 上達したはず

その十分の一 ほどもやってないwoyajiが
2-3年で 容易に上達するはずがありません
てゆーか woyaji は子供の頃 
楽器がとりわけダメだった ワケで す か ら

今回 伴奏してくれたピアノの方も
woyajiの ピッチ(?)が早くなったり遅くなったりする のに合わせかねているようす だったし

出来は 自己採点で50点がやっと・・
でもね 行ってよかった です
あー 演奏って 人前で弾こうとしてこそ上達するんだな って 
漠然と わかった です

あとヨソの教室では
きれいな女性のチェロ生徒さんがいたりする w w
アレは いいよねー w

woyajiは  めったにないことですが 
行く前に ビデオに自撮してみて服装を検討しました
元々 あまりに容姿に無頓着なので もしかして 聴かれる方々に失礼になるかも と思って・・ (色黒でハゲているし 太いしw)


いつか 機会があればもう一度トライしたい
(レッスン受講を続けていかないと機会はないw) と思います

ホールは 音響がやや足りない と感じましたが
控室(チューニングR)は 
よく響く我が家の作業室より 響きまくり
おーっ てなりましたw

チェロのよい音は 本当に素晴らしい のです
だからこそ 美しい曲として奏でたい

そんな をもって もう少し 練習を続けようと思います

では また







2020/10/23 18:01:05|まにあなシリーズ
変化 −失われた30年に残ったもの−
woyajiが 就職した頃 
40年ちょっと前 w

若い人に 想像を絶する話をすると・・

東海道・山陽新幹線はあった けれども
東北新幹線が開業を目指して走行試験をやっていた頃で
(上野-大宮間 東京-上野間は後から開業したのですよw)
上越新幹線なし もちろん北陸新幹線なし
山形新幹線なし 秋田新幹線なし
青函トンネルなし
九州新幹線もなし


道路では
備讃瀬戸大橋なし 明石海峡・大鳴門橋なし  しまなみ海道なし
新名神なし  第二京阪なし  第二阪奈なし 京滋バイパスなし
京都縦貫道なし  舞鶴道なし 山陽道なし
伊勢湾岸道なし 東海北陸自動車道なし
海ほたるなし  圏央道なし  常磐道たぶんなし
・・

在来線・私鉄では
JR東西線なし おおさか東線なし
京都市地下鉄なし  近鉄けいはんな線なし
埼京線なし  京葉線なし  多摩モノレールなし
つくばエクスプレスなし


関空なし  中空なし
成田が開業したばかり
 くらい・・か

どーですか? 信じられない感じ  でしょう?!

woyajiは 就職で東京に出てまもなく東中野(の寮)に住みましたが
西新宿に6-7本の超高層ビルが集まる姿を 寮の屋上から 
いつもしみじみ眺めたものです (写真@) 
今では 
東京の超高層ビルはもう数えられなくなってしまいました ね

六本木ヒルズができてから もう17年
東京スカイツリーができてからでも 8年たつらしい・・

駅の改札では まだ人力で切符にハサミを入れていました
新幹線の車両も 100系 (写真 A) がまだ出ていませんw 

携帯電話は 金持ちでも持っていない時代・・ 
パソコンが 普及し始めた頃
テレビのビデオ (ビデオデッキとテープ)が出始めてて
音楽CDは まだなかった気がする w

日本経済の バブルがはじけたのが1991年頃
そこから ジリジリと経済力に陰りが出始めます

でも ↑ の 巨大プロジェクトのそれぞれは・・
日本高度成長の 余力というか 勢いというか
そういうもので 作られてきたのです
計画(プロジェクト)として かなり以前からあったもの もありますが
一方で 弱っていくというか 放置すると大変なことになる という
経済の刺激策というか下支えというか 
いわゆる 国の「財政出動」が乱発された面もあるわけです
国は 赤字国債を乱発するわけで 財政悪化は避けられない のだけれども
今の時点で考えると
これらが もし なかったら・・ と考えると 空恐ろしい気がします
(日本の経済力は もう過去の話でしかなくなりました)

政治家たちの優れた判断が功を奏した 
なんて カケラも思いませんが
結果的には 90年代以降 社会・交通インフラが 整ったことは事実です

「長期展望に基づいて」なんて とてもいえず
悪く言えば 行き当たりばったりの
「作りかけてしまえばなんとかならぁ」の無責任シリーズ or 我田引鉄 的だった気がします がね

そのプロジェクト達も 容易に順調に進んだものなど ほとんどなく
どれにしても難儀したり 
環境問題などからの反対運動で 四苦八苦(コストも大膨張)したものが多かったはずです (投資効果という面からは 満点には遠いですしね)

それでも それが問題解決の大きな経験になったといえるし
人々が なんとなく明るくポジティブになる
そういう面が 大きいと思うのです

大昔の話でいえば 
聖武天皇が 奈良の大仏&大仏殿を 国力の総動員して作った ように
当時は 衛生状態がよくないから伝染病とかも深刻だった と思うけれども 
人々をポジティブにし やる気をださせることは
(今でいう)免疫力アップ 自己肯定感 
そして 技術や社会の基盤形成 につながる効果
それこそが 結局 み仏のご利益 だったのかもしれません
 
今の日本
もう大きくて具体的なプロジェクト ないこたぁないんだろうけど 
すぐに思い浮かばない w
中央リニアくらいか・・?
でもアレ 工事の問題も完成後の経済寄与も「?」付きだしw
第一 woyajiが就職した頃から力入れてやってて まだアレだからな・・
もちろん 
今は 情報 & ソフト文化の時代
巨大建設物やハコモノの時代ではないのだろう

地道に 少しずつ 
世の中を 便利で 安全で 居心地良いものにしていく
 
そのために努力することが大切なんだろう と思う

この 失われた20年 とか 30年とか呼ばれる時代
計画性というか 長期のビジョンというものが 極めて低調
(というか真剣に扱われない)時代だった よくなかった
むしろ 錯誤や欺瞞が多かったかも   (→反省)

これからの日本は 
今までと 大きく変わってしまった環境の中で
(若者は!) やれることを伸び伸びとやっていってほしい と思う

Be Positive !


P.S.
わが畿央エリアで  期待されるプロジェクトは
やはり 中央リニアか ・・
(名古屋-大阪間はもうないかも そして 中間駅にメリットはないw)
いや 
なんといっても JR関西本線の電化だろう
いやいや 近鉄大阪線でさえ 経営がくるしいというに
関西線なんて・・・ (以下略)

三重県にも滋賀県にも奈良県にも空港はないしw
(プライベートジェット空港とか計画すればいいのにw)

新名神は大きく北(草津方面)を迂回してしまうしw
名阪国道は 高規格化されないし w (ボロボロやん!)

あーあ 取り残されちゃったなあ
なんか幸運が降って湧かないかなー w w


昔がたり とか 自分がたり とかは
全般に嫌われるから SNSでも避けた方がいいのでしょう
でも 
還暦を過ぎて つくづく思うのは
40年は あっという間だったし
昔のことを わりと新鮮に覚えてるんだよねーw


出来心で つい書いてしまった・・w

 







2020/10/09 16:22:00|小さな旅
しまなみ・しもなだ 3

【 しもなだ編 】 からの つづき

【 しまなみ編 】


伊予市の宿に泊まり 
商店街の中の 小さな「伊予温泉」にも入りました w

で 
翌朝   憧れの地 その3「しまなみ海道
に向かって Z900RS で出発

松山市街のひたすら狭い道を走り抜け(不本意w)
梅津寺駅経由 海岸線へ

この日は 海からの風がけっこう強い
(あー 来島海峡大橋 渡るのコワそうだなぁw)
北条を過ぎて波方へ
このあたりは 造船のメッカ いいねぇ(実態は知らないw)

そして 
来島海峡大橋がよく見えるという
糸山公園展望台
へ   天気最高!
吊り橋の支柱が連なって
ひたすら美しい大橋と来島海峡がきれいに望めます
[ 写真 1枚め ]

ジツは 昔(20代)  三原から竹原-大三島-伯方島→生口島→因島→尾道 というサイクリングに来ています
当時 来島海峡大橋は開通していなかったので 
ずっと渡りたかったのです
バス旅行で一度 しまなみを通っていますが  バイク・自転車の感触はまったく別ですから w

思ったより 橋上のは強くなく 
空いてもいるので  高所恐怖感を軽減してくれます♪
早く渡りたいような いつまでも走っていたいような w
[写真 2枚め ]

各島で高速から降りたいのが山々ですが
時間的な余裕はありません w
伯方大橋 大三島橋 多々羅大橋を渡り
瀬戸田PAで休息  オープンテラスで 
おしゃれな 天ぷらうどん w  
[ 写真 3枚目 ]

しまなみ海道の中では 多々羅大橋のデザインがわりと好き

生口橋を渡って 因島で高速を降ります
海岸沿いを東へ
因島公園(テレビ塔の山)へ登ります
展望台からは 青空の下 瀬戸の風景

頭の中に 
尾道の風景だ と錯誤が 。(そっくり?)
おいおい ここは因島やん 
と降りてから正誤解釈 w

島に寄った目的は 
昔のサイクリングで ヒーヒー言った 因島水軍ライン という林道(?) を 再び訪ねたい と思って

4枚めの写真は どうということのない写真にみえるかも
ですが 
woyajiには 昔の思い出と重なっているのです

昨日のしもなだで 
コンデジがバッテリー切れ表示に なってしまいました

でも 2-3枚なら撮れる状態
これを繰り返してました w w

因島北ICから 再び高速に乗り
これまた美しい因島大橋を渡ります
さらに 
尾道の街を左に見ながら 尾道大橋を渡り
これでしまなみ海道はおしまい

名残惜しむチャンスはありません w

そのまま R2 (自動車専用区間) へ
山陽道に入るつもりが 分岐を通り過ぎてしまい
まあいいか と いつものアバウト・モードに

しばらくすると まったくの(混んだ)下道になってしまい 時間ロス
とはいえ 
残りの高速走る距離を少しでも減らしたい頭が働いて
結局 鴨方まで ノロノロ

ここから 山陽道→新名神方面へと帰りました
高槻で (例によって)がポツポツ
それくらいは 許容範囲

いやー 
しまなみ・しもなだ ♪
Life Goes On Bra!! ♪
本当に よい旅でした

ではまた







2020/10/09 16:05:00|小さな旅
しまなみ・しもなだ 2

【 淡路島編 】からつづく

【 しもなだ編 】

時折 美しい瀬戸内海が見えたり
まだ緑の山々 四国の街を眺めながら
高松自動車道を ずーっと走ります
屋島の右手に 3ピークの面白い山が見える
いつか 登りに来たいなあ ♪

豊浜SAなど 何度も休みつつ 
松山自動車道 を 西へ西へ
と同時に 少しずつ日は傾いてきます

そう 今日は 何としても
憧れの地 その2
伊予灘 予讃本線下灘駅  で夕陽を見たい

西条から少し山を越えて 再び海が見えると 松山 
ここで悩みます 
宿をどうしよう w
今日は寒い 夜ラン・野宿は控えよう

松山ならあるだろうが なんとなくつまらんw
伊予市に宿あるかなぁ
いよいよ 伊予IC
美しい景色の中 カーブを廻って料金所通過
とにかく駅前に行ってみよう (昔の人間だなあw)

幸いw 「郡中駅前に観光協会があって
商店街の中の宿を紹介してもらいました

よし 「しもなだ」へ急げ
海岸沿いに約20km 
Z900RSは いつも快調 けどクルマが多い・・
日没までには間に合うだろうが 早く着きたいw

すでに 夕日に包まれた海が美しい
「かみなだ」を過ぎて・・行けばわかるはず
お 入口看板あった! 
[ 写真 1枚め ]  [ 写真 2枚め ]

おー クルマがそこそこ停まってるし
バイクを置くとこも幸いあった

4-50人?くらいの人混みもあって 
みんな カメラで撮りまくり
撮られ番 は譲り合いでw

あー いいなあ
間に合ってよかったなあ
長い時間 いたかったなぁ (ちょっとムリだわな)

列車も来て 
10人くらいが乗っていきました [ 写真 3枚め ]
そして 
18時ちょうどくらい  津より30分遅い日没の時間 [ 写真 4枚め ]  

あー 感動ですねー
写真も いっぱい撮ってるけど・・ いや 
この瞬間 ここにいる ということ自体 
感動 なんだろうねぇ

ただの 海の見える田舎の駅 
なんだけど  それがいい 
というか ナニかが違うというか・・

日没後の余韻 もしばらく味わってから
下の道路に戻ってみる
少し南から 伊予市街へ向かう(戻る) 
道路から見えるホームの上屋が 名残惜しい

あー 
来てよかったなあ
(四国の途中に寄れなかったけど) 文句なし

【 しまなみ編 】 につづく