最近 天気がいい日が多くて バイクで 出かけてばかりいて →どこへ行こう? となる日も多い w
「遠くへ行きたい」の憧れの一つに 四国 宇和島 愛南町の 紫電改展示館 があるけれど 遠すぎていけないし なぁ て考えながら
そーいえば 川西航空機のところにも ミュージアムみたいなのが確かできたはず (!) と思い出し 調べたら兵庫の加西市 鶉野飛行場跡地の soraかさい
おー これは行ってみよう w と
紫電改 は 日本海軍の戦闘機 紫電の改良型 (woyajiはミリオタではありません w ) 有名なゼロ戦なども戦争後半になると 苦戦し より優秀な航空機が求められた
もう日本には 材料も 生産体制(施設、技術者、労働力・・)も不足している ばかりでなく 本土空襲も始まるし 戦時社会のいろいろな矛盾も吹き出している中 まさに そんな中でも 必死の努力で 作られた技術の粋 だったわけです 登場が遅すぎたかも だが これらの航空機で 最後の一花 というか 名だたる戦闘機乗りが 存分に戦うことができた らしい (実際はどうだったのか まではよく知らない)
soraかさいの 前にある平和祈念碑 そして 館内の紫電改の展示模型 を見ているとwoyajiは
当時の人々 ・・ 戦闘機乗り 整備士 基地の人たち 製造工場の人たち 開発の技術者 飛行場への土地提供者 建設作業に奉仕する人 手伝う動員の人たち 材料や物資を用意する人達 運ぶ人たち ライフラインを維持する人たち その他 の ハンパないご苦労に思い至り 心震えます
紫電改 と 九七式艦攻 (展示模型)をみて 「へー」 ではないのである w
中島みゆきの「地上の星」でいえば 幾多の無名の「星」の 血と汗と涙 が形になっていたものなのだ
ゼロ戦の模型も置いてたら 比較できてよかったのになぁ ではなく ある程度 戦争に勝てないことを感じ取りつつ 個人や家族を犠牲にして 絶望的な戦いをするしかない やがて 皆死ぬことが目的にすらなっていく中での 数少ない 輝くもの なのだ ・・・
まあ 古臭いはずのwoyajiにもうまく言えないが 今 ウクライナに攻め込んでいるロシアが苦戦している 姿をみれば 少しはイメージつかめる のではなかろうか
戦争に勝つ いや 戦争に備える には 軍事費を増やす なんて スジがズレすぎて話にならない
戦争に勝つ 可能性を高めるには 結局 (個人の)命 自由や民主主義 のような 基本的 普遍的価値を 社会で認め合うことをベースに
行政や社会資本(インフラ)を 強靭な配置や形にし 産業や食料生産上のリスクを分散し 自給率を高め
多くの人々が教育や技術になじんで 柔軟な思考や ものごとを(感情的ではなく)分析的に考える力を 育てないと ムリ そして ウクライナ見てたらわかるように いわば 国の精神みたいなもの ソフトパワー がなければ 他国からの支援は得られない
公文書や統計を 改ざん・偽造・偽装 隠蔽・隠滅 するような国は もってのほか 役人が 汚職・腐敗にまみれている国に 力 など 集まるはずがない
中抜き や 金貸し が主力産業(?)な国が 苦境に耐えられるはずがない 難儀な社会課題を何十年も先送りしたり 大昔に決めたとされる整備計画を金科玉条に「既得権」が優先される 組織に 柔軟で適切な対応ができるはずもない
よく言われるように 原発を50基以上も作って なにが 「敵基地攻撃能力」 だよー 行政の役所が 自然災害でよく 一番最初に被災するのを見れば 戦争の備えなどカケラも想定していないこと 明らかじゃん
防災拠点というやつも 表面的で 実際にはいろいろ問題あり というのが一般的だし
自然災害や 不況 国際的危機 などに強い社会を もう少しまともに 考えなきゃいかんでしょう
そーすれば 戦争の備えにも・・
そーいえば 極端な少子高齢化の国がそもそも・・・ もう やめよう
woyajiの親父は 昭和4年生まれで ぎりぎり 戦争に行かずに済んだ が 国民動員? で 鈴鹿の兵器工廠で働かされたらしい 戦闘機のプロペラ始動で 大けがをする人を何回か見て いい思い出などないらしい
母方の叔父は なんと川西航空機に動員に行かされたらしい ので わずかながら縁がある といえなくもない w
館内にある soraカフェで コーヒーと Soraバーガーを いただきながら ひと時を過ごしました 技術的な展示が増えたら 何回か行きたいミュージアム でした (しかも 驚いたことに入場無料)
周辺 鶉野(うずらの)飛行場 ← なんかかわいい名 広々した土地 牧場もありました 再開発が計画されているようですが それは少し 惜しいような気もしました
ではまた
画像@ 紫電改 A soraかさい外観 B soraバーガー C 鶉野飛行場(周辺) |