すっかり涼しく(寒く?)なってしまいました ので 電車に乗って 残り少なくなった三十三所巡りに
満願が見えてきたような なんとなく 焦りの気持ちもあるような(いや ある)・・w
京都東山の手近な お寺へ 東福寺で京阪に乗り換え 清水五条の駅から歩きます
まずは 六波羅蜜寺へ 六波羅密寺は 30年ぶりくらいのはずですが どうも記憶と印象違うなぁ (どこかのお寺と思い違いしてる鴨) このあたりの道は わりと何回も通っているのになぁ
小路からお寺に入ると 容姿端麗なw観音様が立って迎えてくれます (写真@)
西国三十三カ所 観音霊場巡り 第十七番 補陀洛山 六波羅蜜寺
おもくとも いつつのつみは よもあらじ ろくはらだうへ まゐるみなれば
若い頃 仏教に興味を持ち始めた頃に わりと早く感心した教え 六波羅蜜とは 頭脳明晰で慈悲深い仏に近づくための 思考訓練 (←六つのパラメータ)
布施 (周りへの施し←損じゃなくて得なのだ!) 持戒 (マイルール←常に自らの姿勢を問う) 忍辱 (少々のことは耐え忍ぶ←割り切れ!) 精進 (努力←未来を夢見て一歩一歩) 禅定 (ただ冷静に←思慮不要のことも多い) 智慧 (考え方←正しい思考は訓練で得られる)
そうして 少しずつ 仏教の奥深さを知っていったwoyajiが 還暦を越えて ろくはらだうに まゐります w
本堂(写真A)に入って 拝みましたが ご本尊は見えませんし (たいがい書いてくれてある)真言も書いてないw とにかく 拝んでおきました
入口にあったお像が おそらく ご本尊 十一面観世音菩薩様のお姿に近いのではないかと
歩き回るほど境内は広くないので 御朱印(写真B)をもらって 宝物殿へ
ここで woyajiが好きな というか尊敬している 運慶 の像に対面しました 昔 来た頃には まだ運慶の凄さに気づいてないし 見たかどうかもわかりませんw
息子の湛慶像や 高名な 空也上人像もそうですが 仏像らしくない仏像 は やはり よい(いい表現を知らない)ですね いや 仏像は仏像で素晴らしいんですが リアルというか 像から伝わるものが違うというか ね
京都の 歴史の(いろいろ)舞台になってきた土地柄 堂前の 石標の字 (写真C) にも感じ入ります
清水寺につづく
P.S. いま 観音様とよぶ 「観世音」菩薩は 元の梵語を鳩摩羅什が訳したもの (音訳ではありません) 「観自在」菩薩は 玄奘三蔵が訳したもの 観音様は 現世の我々を少しでも多く「救おう」としている仏様 それにすがる というのはある意味で初心者的な位置づけ
一方で 「観」→ものの見方という仏教の神髄でもある哲学 を示す名の仏様でもあります
「ひょん」なことから 三十三所観音霊場巡りを精力的にw始めたwoyaji 観音様に導かれるまま 愉しもうと思います
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