還暦を過ぎて ふと始めた三十三所観音霊場巡り
たまたま 一目ぼれのバイク Z900RSを買って・・ これはいい これで回ろうw と喜んで ほぼ一年で 満願成就を迎えようとしています 無事 成就することを願うし 漠然と予想していたよりも 達成感がありますw
ただ その思いとは別に 一か所一か所で 最も強く感じたのは 昔の旅人・巡礼者の苦労と信仰の力 です
なにしろ お寺は ○○山というくらいで 基本的に高いところにある ブラタモリでやっていたが 観音様 → 崖(断層崖) の連想 または自然信仰的部分 というくらいw
数百mの山も 今の世なら 車やケーブルカーなどで登れる し ・・ とくに・・ Z900RSで 旅をし 山道を登っていくのはとても楽しい 楽しすぎるのだ・・
けれど 昔の人は 遠くから まず歩いてやってくる そして 山の麓から えっちらおっちら 汗をかきながら登ってくる 何百段の石段も登る (バリアフリーの逆の)バリアを意識して 作られているわけでは決してない が とにかく お参りするのは いちいち大変だ てゆーか 大変さがハンパじゃない
キツさを緩和する方法は 時間をかけること (これは 現代人にはキツいw) それを思うにつけ 山で感じるにつけ 自分の三十三所巡りは何なのか と と問うてしまうのです
苦労そのものが尊いわけではない (だろう・・) しかし 苦労を知らずして得られるものに重みはあるのか と
琵琶湖の竹生島なんて 昔は (最短の木之本あたりからと思うが)手漕ぎの船に 乗せてもらって 一日かけてお参りしたのだろうな いや 天気待ちで数日か・・
雨の日はどうしたのだろう 御朱印帳なんて きっと近代になってからだな woyajiは ジップロックにいれてるけどw 持って回ってたら濡れたりして話にならん きっと お札のように一枚一枚もらって保存したのだろう
そもそも 三十三所巡りは 裕福な庶民階級(?)以上しかできなかっただろう が どうして 巡るのに要する日々を確保したのだろうか???
昔の旅人が 苦しいばかりか といえば 絶対そうではない それは やはり 「旅」の経験がもつ 「開放感」「リフレッシュ」 「好奇心」 「楽しさ」 「癒し」 そういうものは 観音様のご利益と同じくらい大きいし 人を変えたと思う
仏教の神髄(の一つ)は ものの見方 だから それまでなかった視野の広さを得 自らを解放する 三十三所巡りは 結果的に人をステップ状に成長せしめる点で まさに仏の導き
昔の三十三ヵ所巡りは 「西国」というリミットはあっても ほぼ 行動範囲の限界に挑戦するもので これがプロデュースされたのは 破格のアイデア
巡礼が 平安の昔に端を発し 鎌倉・室町の頃に再興されたという
寺々の その古さとは別に 信じられないほどの 信仰行動の歴史
すごいなぁ というしかない ←あっさり(語彙)w
|