いよいよ裁判員制度の準備段階に入っていて、まもなく特定の選ばれた人に通知が来るようになっています。 知識があろうが無かろうが、あがり性の人も、臆病な人も関係なく断る理由が限定されている中で、理由無く欠席すると罰則がある、裁く裁判は殺人とか人の人生を左右する大きな問題、果たして素人の感情論で人の命を左右していいのでしょうか?アメリカで実施されているし韓国でも今年二月から行われているそうですが、無届の欠席が多く、そのために罰せられる、新たな犯罪者が多くなっているそうです。 結審への要件が細かく規定されているとはいえ(裁判官三人のうち一人は陪審員と同じ意見であること)真実追求よりも結審の責任分散のような意味合いが強く感じ、結審した内容を国民の総意としてかたずけられるような気がしてなりません。 一般人が裁くとなると見た目、容貌、好みと言ったところに傾きはしないか心配です。 弁護士になるには8,000時間勉強が必要だと聞いたことがあります 国家資格をとっても司法研修生として勉強しどこかの弁護士事務所で実体験を積んでやっと一人前になっていくのです。 それでも勝ち負けがある世界そこへ素人が判断する怖さを感じるのは私だけでしょうか? ある弁護士が、司法、立法、行政と三権ある中で司法だけが特定の人しか認められていないと言っていましたが、その理由は立法は国会議員になれば出来る、行政も市会、県会議員になれば出来るが、司法だけは一般人は参加できないと言っていました よく考えてみるとこじつけにしか過ぎないのです、国会議員、議員を目指し秘書をしたりして努力して自ら希望していく、市会、県会も同じ、そして検事や裁判官も同じように自ら希望して色々勉強して上り詰めていくのであって、司法だけ別ではないのです 議員も裁判官もなりたくてもなれない人もいます。 陪審員制度が作られなければならない理由にはぜんぜんなっていないのです、凶悪犯罪者の目の前に行きその人を死刑かどうか議論する勇気は今のところ持ち合わせていないので通知が来ないことを願っている私は悪でしょうか? |