ふとしたきっかけで鉄道趣味の面白さに再び目覚めた。楽しみ方は色々鉄道趣味は奥が深い。私の趣味活動をほんの少し披露し、併せて伊賀地域の鉄道の将来について考えます。
 
2023/08/06 15:01:32|その他
伊賀鉄道でICカードが利用可能に
去る7月26日、伊賀市、伊賀鉄道、JR西日本の3者は、連名で来年(令和6年)3月に伊賀線全区間で交通系ICカードICOCA(イコカ)の使用を出来るようにするとの発表がありました。
これにより、相互利用可能なPitapaやSuicaなどの他の交通系ICカードも利用可能となり、既に導入済みの近鉄大阪線やJR関西本線、三重交通バス路線との乗り継ぎ利用も一枚のカードで運賃精算が出来るようになり、利便性が大きく高まり、利用促進に繋がることが期待されます。
伊賀線は近鉄からの経営分離の際、切符や定期券が線区内のみの別精算となり、近鉄線区間への直通切符、JRとの連絡切符の販売も廃止されたことから、一部の定期券利用を除いて、乗車券一枚で利用することが出来なくなっていました。これは他社線への乗継利用が多い伊賀鉄道にとって、利便性を損ねる大きな要因であったと思われます。また、キャッシュレス時代の早期到来によって、ますますそのことは際立つこととなっていました。
今回の導入判断には、インフラ所有者である伊賀市行政のバックアップがあってこそであると推察しますが、地域交通を守り、持続させようとの並々ならぬ決意の表れだと思います。
人口減少や少子高齢化が続く沿線地域の現状に加え、コロナ禍と伊賀線を取り巻く状況は相変わらず厳しいものがありますが、時代の流れに合った利便性向上のための投資は必要であると思います。沿線地域や住民もこれに応えるべく、伊賀線の利用促進、地域づくりへの利活用に努めたいものですね。







2023/05/20 7:45:53|遠征記
惜別 キハ85系特急「南紀」
 前回の投稿でも紹介しましたが、JR東海の特急用ディーゼル気動車キハ85系が今春のダイヤ改正で、高山本線の特急「ひだ」から引退し、残る紀勢本線の特急「南紀」からも6月末で引退予定とアナウンスされています。
 特急「南紀」は、名古屋を起点に関西本線、伊勢鉄道線、紀勢本線を経由し、和歌山県の紀伊勝浦までを結ぶ列車で、三重県内を縦断する唯一のJRの特急列車です。起源は天王寺〜名古屋間を紀勢本線経由で結んだ特急「くろしお」(1往復)ですが、昭和53年の紀勢本線和歌山〜新宮間電化によるダイヤ改正で、「くろしお」が381系電車化されることに伴い、大半が非電化区間となった名古屋〜紀伊勝浦間にキハ82系ディーゼル気動車を用いて設定された特急列車がそれになります。ちなみに「南紀」の愛称は、天王寺〜新宮(〜亀山〜名古屋)に設定されていた普通夜行寝台列車に与えられていたもので、それを受け継ぐ形となり、普通夜行寝台については、新宮電化以降、新たに「はやたま」の愛称が与えられました。
 以来、古豪キハ82系による運用が続いた「南紀」は、JR化後の1992年に新型のキハ85系に置き換わり大幅なグレードアップが図られました。眺望の良い大きな側面窓を備えていることから、その名も「ワイドビュー南紀」と呼称されました。スタイリッシュなボディに高出力を誇る強力エンジンを備え、豪華で快適な車内が自慢の車両は、現在でも十分通用する性能とサービスレベルにあると思いますが、登場から早や30数年、時代はカーボンニュートラルを志向することとなり、Co2を排出するディーゼル気動車は敬遠される存在に、また、一般国道しかなかった三重県東紀州地域にも高速道路網が形成されつつあり、「南紀」の利用者は徐々に減少しているためか、4両程度で運用されていた列車編成は遂に最短2両と非常に寂しい姿となってしまいました。
 今回、キハ85系に代えて、JR東海が新たに開発したハイブリッド車両HC85系を新たに「南紀」に投入するのは、環境負荷の低減という時代の要請に応えるためと、「ひだ」とともに新型投入によるサービス向上、需要喚起を図るためと思われます。
 私自身も過去、仕事で東紀州方面への出張時には、幾度となくこのキハ85系「南紀」のお世話になり、パワフルなエンジン音を奏でながら峠を駆ける姿に魅了された一人です。引退までにもう一度その乗り心地を味わいたいと思い、先日、松阪〜紀伊勝浦間を往復してきた次第です。往路では、引退前ということで平日にも関わらず、同好の士の姿も見え、列車は所定2両が1両増車の3両、対向する列車は4両と往時を偲ぶ姿を見ることができました。夕方の復路では、運よく非貫通型の名古屋寄り先頭車の最前列に陣取ることが出来、熊野灘の夕景を車窓に、初めて前面展望を楽しむことが出来ました。
 車両そのものは、リニューアル工事さえすればまだまだ現役を続けられると思え引退は惜しい限りですが、これも時代の流れとあれば仕方ありません。特急「南紀」が新型に置き換わり、列車も沿線地域もこれを契機に将来へ展望を拓き、活性化することを大いに期待したいと思います。
 


 





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2023/03/25 20:54:00|撮影日記
今春卒業です。

 3月18日はJRや多くの私鉄でダイヤ改正がありました。大規模なダイヤ改正は毎年この時期に実施されるのが常ですが、それに伴い、新路線や新駅の開業、新車両の登場などもあり、楽しいトピックには事欠きません。その一方で、廃止される駅や退役する車両もあります。
 車両の退役で身近なところでは草津線で活躍した113系、117系電車が3月末で運用を終えるようです。113系は草津線が電化開業した1980年に投入された車両で、実に43年もの長きにわたり使用されました。この間、車内外のリニューアルが施され、カラーリングは2度変更されました。117系は当初、京阪神間の新快速車両として華々しくデビューし、エースの座を後継車両に譲ったのち、草津線や湖西線などの普通列車で活躍しました。いずれも国鉄型独特の重厚な乗り心地で安心感がありました。ダイヤ改正のタイミングでなく交代時期が少しずれたのは、後継車両の準備の影響なのでしょうか。ちなみに後継は、他の車両基地から転属した221系、223系近郊電車と目されています。
 そしてもう一つが、JR東海の特急型ディーゼル気動車キハ85系です。こちらはJR化後の1989年に高山本線の特急ひだに投入され、1992年には関西、紀勢本線の特急南紀に投入された車両です。ひだでの運用はダイヤ改正のタイミング、南紀は6月末に運用終了とのこと。JR化以降の車両ですら退役するとは時の流れを感じざるを得ませんが、後継車両はハイブリッド車HC85系ですから、低炭素社会を目指す世の流れに沿った取り組みといえるでしょう。キハ85系の大半は廃車となるでしょうが、このうち4両が京都丹後鉄道に譲渡され、第2の人生?を送るとのこと、カーボンニュートラルの時代にあっても米国カミンズ社製の大馬力エンジンの咆哮を聞くことはできそうです。
※画像上=113系電車(草津線油日〜柘植)、画像中央=117系電車(草津駅)、画像下=キハ85系気動車(京都鉄道博物館で特別展示された時のもの)

 







2023/03/17 10:18:46|関西本線のこと
関西本線に新しいラッピング車両がお目見え
 以前にも紹介しましたが、関西本線非電化区間で運用される気動車キハ120形は検査のたびに、基地のある亀山から機関車に牽かれて兵庫県や時には遠く鳥取県の車両工場を出入りします。単独で走行しても良いのではと思うのですが、ATSの型が違うとかいろいろ事情があるのでしょう。
 DD51ディーゼル機関車やEF65電気機関車という国鉄時代から活躍する大型の機関車に、短い気動車がたった1両だけ牽かれて東海道本線や山陽本線を走るのは、何とも非効率な感じですが、絵的には可笑しく微笑ましいからか、これを誰が呼ぶともなく“亀山配給”と言って、撮り鉄さんには美味しい被写体になっているようです。
 さて、撮り鉄はあまりしなくなった私も、地元ネタとなれば敏感に反応することから、日程さえ合えば、この特別な列車を追いかけることにしています。最近は、便利なSNSをチェックすればこの手の情報は自然と目に留まりますので、どうやら本日走るようだと推測し、しかも牽いているのが、お茶の京都PRの新しいラッピング車両とのことで、これは行くしかないと決め、これまでの経験で得た不確定情報で凡そのダイヤを推定して、草津線との接続駅に張り込んだ次第です。
 推測どおりやってきた列車は、乗務員交代の小休止があり、デーデー(DD51)様の紫煙の匂いを存分に堪能しつつ、後部のラッピング車両をチェック。お茶の京都ラッピング車は、コロナ前まで“山城列茶“”の愛称で、キハ120形1両(今回は2両)に施されていましたが、今はその任を解かれていたため、今回が第2弾ということでしょうか。デザインも新しくなり、ベージュ色をベースに茶器などのイラストが描かれている明るく可愛らしい印象です。京都府下の沿線には山城茶の茶畑が広がるところもあり、PRに一役買ってくれることでしょう。加えて、この車両導入には維持困難線区とされた加茂〜亀山間活性化のため、京都府内各自治体などの支援があることは疑いなく、今後はラッピング車の活用と併せて沿線の地域資源とコラボした施策の展開に期待したいところです。







2023/02/21 21:13:00|伊賀線のこと
松本零士さんの訃報に接して
  漫画家松本零士さんの訃報を昨日の報道で知りました。
同時にメディアの取り挙げ方がことのほか大きく、あらためて氏の存在の偉大さを知った次第です。
  私にとっては、幼い頃に夢中になって観ていたテレビアニメ「宇宙戦艦ヤマト」、「銀河鉄道999」の作者として、早くからその名を覚えた漫画家であり、とりわけ平成9年に登場した、地元を走る伊賀線の忍者列車が、著名な氏のデザインになった時には、とても嬉しく、誇らしく思ったものです。
  その後も氏の作品に親しむとともに、伊賀線忍者列車もデザインのバリエーションが増え、直接お会いしたことはないのに身近な存在に感じていました。ヤマトにせよ、999にせよ強く惹かれたのは、精緻かつメカニカルな描写でしょうか。ともに宇宙を旅することになった、かの大型戦艦に日本最大の旅客用蒸気機関車は子供の頃のお絵描きの良いお手本になりました。そして、それらに通じる哲学は、氏の人生のなかで培われた「生きることの重さ」や「戦うことの愚かさ」だったとのこと。決して意識して観ていた訳ではありませんが、それらの秘められたメッセージが知らず知らず自分の人格形成に影響を与えていたのかも知れません。
  また、忍者列車を通じて伊賀の地域振興に寄与いただいたことは決して忘れてはいけないことだと思います。訃報を報じるテレビの全国ニュースにおいて、かつての860系に施された初代忍者列車の映像が流れたことは、地元民にとってもマイレール意識やシビックプライドを大いに刺激することであったと思います。
  これからも氏の残された功績、特に私たち伊賀に住む者にとって、忍者列車という偉大な作家による作品を大切に、地域の活性化に活かしていければと切に思います。
文字通り永遠の旅路につかれた松本零士さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。合掌