ふとしたきっかけで鉄道趣味の面白さに再び目覚めた。楽しみ方は色々鉄道趣味は奥が深い。私の趣味活動をほんの少し披露し、併せて伊賀地域の鉄道の将来について考えます。
 
2024/07/02 21:43:00|遠征記
惜別 国鉄型の生き残り12系客車
  先日、京都への所用の帰り、京都鉄道博物館に寄ってきた。私としては、今も梅小路蒸気機関車館と呼んだ方が馴染むのだが、ときおり、無性にSLの煙を浴びたくなれば自然に足が向いてしまう、そんな場所でもある。
 しかし、今回はお目当てが少し異なる。国鉄時代の生き残り、臨時急行や団体臨時列車に活躍した12系客車が期間限定で特別展示され、しかも動態保存のSLが牽くスチーム号の客車に充当されるとの報を聞いたからである。
  12系客車は昭和45年開催の大阪万博輸送用に増備され、青地に白帯の車体が特徴。一見するとかつての寝台客車ブルートレインのようだが、こちらは固定座席のみ、しかも実にシンプルな車内で往年の国鉄車両の薫りが漂う。JR西日本には5両が在籍し、近年までは北陸本線の「SL北びわこ号」で活躍したが、列車廃止に伴い活躍の場を失っていた。つい最近までは乗務員訓練列車として東海道本線でその姿を見ることがあったようだが、客扱いされる列車での充当は無く、乗車の機会は望むべくもなかった。そしてとうとう、5両のうち、車掌室のない中間車3両が引退するとのことで、特別展示は惜別の意味をこめてのものであるという。
  さて、車両展示は、現役線路から搬入できる博物館本館1階に3両、スチーム号客車には2両が充てられ、短距離ではあるがお名残乗車ができ、かつ、細部をじっくり観察できたのはありがたかった。平日でもあったので、さほどの混雑はなく、余裕をもって乗車、見学を楽しむことができた。
  個人的に12系客車の思い出で最も印象深いのは、学生時代の夏休み、長野に帰省する友達とともに仲間数人で京都〜長野間を乗った夜行急行「ちくま」だ。その時は信州での登山を目指す客で満員、硬い椅子では寝付くことができず、デッキで新聞を敷いて横になった記憶がある。その後は、かなり時代を下って、例の「北びわこ号」に家族や友人と何度も乗り、撮影もした。地元関西本線では、毎年正月に伊賀地域の神社が仕立てた伊勢神宮参拝臨時列車があり、朝早くから追いかけたのも懐かしい。私は見ていないが、関西本線で蒸気機関車廃止直前には「SL伊賀号」の客車としても活躍したようだ。
  国鉄分割民営化から早や40年近くが経ち、国鉄時代に製造され今も現役で走る車両は既に絶滅危惧種とも言える。蒸気機関車などは産業遺産としての価値から今後も残っていく可能性が高いが、それ以外の車両は残される可能性は極めて低い。いつの間にか無くなっていることもあるだろう。たかが鉄道車両とはいえ、後で後悔しないように会えるうちに会って記憶にとどめる努力をしていきたいと思う。







2024/05/27 21:23:04|遠征記
新緑の名松線へ

 好天に恵まれた5月のある日、久しぶりに名松線に乗りに出かけました。目的は車窓に広がる眩しいばかりの新緑を愛でたくて…。前回は、災害復旧し全線開通した直後の5月に乗りに出掛けたが、その時に見た車窓の新緑が忘れられず、機会を伺っていた次第。今回も妻を誘ったが、異論は出なかった。やはり同じ思いを持っていたようだ。新緑を拝みたければ、地元の伊賀でも堪能できる。しかし、名松線にはそれ以上の魅力があるように思う。
 目的地は終点の伊勢奥津、クルマ利用なら自宅からでも1時間程度、だが列車を乗り継げば3時間もかかってしまう。とても常識的な移動手段ではないが、鉄道に乗ることが主目的なのだから構いはしない。むしろ長ければ長い方が車窓の景色をより長く楽しめるというものだ。
 名松線の名の通り、本当は名張まで繋げたかった路線。以前は名張からでも三重交通バスを利用すれば伊勢奥津まで行くことができ、先人が抱いたかつてのルートを辿ることができた。しかし、今はもうバス路線も短縮され公共交通機関で辿ることは出来ない。
 さて、名松線の旅での魅力は、車窓を彩る山々と幾度も寄り添う清流の景色、所々にある耕地整理されていない田圃や畑、農村集落。末端閑散線区ならではの片式ホームと小さな待合室だけの無人駅、そして絶滅危惧種となったタブレット交換が見られることなど枚挙に暇がない。移動時間を気にする方には苦痛そのものだが、「家城駅」以西は一部で時速20〜30`ほどのスロースピードでゆっくり進むものだから、景色が近く手に取るように見える。これを松阪駅の名物駅弁屋「あら竹」の松阪牛を使った極上駅弁をお供に見やれば、実にこの非日常が楽しくて仕方がないのだ。
 名松線は幾度の廃線の危機を乗り越えた強運なローカル線だが、沿線地域ともども現状は厳しいに違いない。他のJR各社が打ち出しているような維持困難線区の象徴のようだが、会社が体力的に余裕があるJR東海ならばこそ維持できているのだろう。しかし、前回のような大規模災害に見舞われたらと思うと、決して未来が明るいとは言えない。伊勢奥津駅に併設された休憩所兼売店では「守る会」への寄付を募る募金箱や応援グッズが販売されていたが、地元ではやはり危機感を持ち続けていると見た。私も、末永くこの愛すべき鉄路が残るように、微力ながら応援していきたいと思う。



 







2024/04/07 7:31:32|その他
伊賀線で交通系ICカード初体験
 3月9日に始まった、伊賀線におけるICOCAなどの交通系ICカード運用開始から、早やひと月経とうとしていますが、この間なかなか乗車機会がなく、先日、ようやくICカード利用を体験してきました。
 4月某日、JRに乗り継いでの往路、私は専ら、ポストペイ(口座後払い)メインのPitapaカードユーザーのため、自分のカードのチャージ残高が分からず、入場の際いきなりチャージ不足が発覚、やむなく切符購入での乗車でしたが、復路は、伊賀上野駅伊賀線ホームにチャージ可能な券売機が新設されたため、無事にチャージすることが出来、伊賀線でのICカード初体験となりました。
 伊賀線には、私の当初予想であった車載型改札ではなく、各駅に設置された簡易改札機による方式となっています。近鉄大阪線は自動改札機と一体の改札機、JR関西本線は車載型と、乗り継ぎ先の鉄道毎にそれぞれ異なる方式のため、乗り継ぎ利用では少し慣れも必要かなと思います。
 一見すると、ICカード利用のお客様は既に相当数居られましたが、皆さんスムーズに使われており、少し安心しました。

近鉄から経営分離後、伊賀線から他線への連絡切符の販売が無くなり、一枚のチケットで移動が出来なかったことを思えば、随分利便性が向上したと感じます。何より、地方鉄道でありながら、都市近郊の鉄道と同じようにキャッシュレス利用できるというのはイメージ的にもプラスになると思います。
 個人的には、PiTaPaのポストペイも使えるようになれば嬉しいのですが、これまでよりさらに利用しやすくなった伊賀線を大いにアピールしていきたいものです。







2024/02/29 22:15:00|関西本線のこと
DD51型ディーゼル機関車単機回送施行
 本日朝、関西本線〜草津線を経由し亀山の車両所から所属基地である大阪宮原の車両所に向けて、DD51型ディーゼル機関車が単独で回送される単機回送が施行されました。添付画像の撮影場所は関〜加太間にある坊谷トンネル西側です。
 これは、先週末、「お茶の京都ラッピング」が施されたディーゼル気動車キハ120型が期間限定で京都鉄道博物館で展示されたことに伴い、昨日、同車が展示を終え博物館から返却される際、その牽引の役(返却回送)を担い、亀山で一泊し朝から戻っていく様子を記録したものです。
 当ブログでも幾度かご紹介しているところですが、年に数回、DD51が車両工場に検査入場する、関西本線用キハ120型の牽引に当たることがあり、機関車+気動車、機関車単独のいずれかの珍編成を見ることができます。DD51は旧国鉄が大量増備した標準的な機関車で、かつて全国どこでも見ることができ、関西本線でも蒸気機関車無きあと、旅客をはじめ貨物や荷物列車、近年も多種多様な団体臨時列車の牽引機として頻繁に運転されました。しかし、次第にその数を減らし、今や大変貴重な存在となっています。DD51が関西本線に入線する機会は、このような時か深夜に工事用のレールを運搬するいわゆる工臨といわれる列車ぐらいになりました。私はこの機関車も大のお気に入りで、事前に情報を得られれば可能な限り撮影に行くようにしています。今回は、明確な情報は無かったのですが、昨日に亀山に返却回送があったことを知り(=ならば翌日に機関車が戻る単機回送がある)、これまでの経験で知り得た回送ダイヤのうち、SNSでの書き込みで早めのスジ(ダイヤ)ではないかとの推測情報で、確信がないまま赴いた次第です。
 沿線に撮影者の姿は無く、一瞬不安がよぎりましたが、現場では遠方からの先客が1人おられ、その方によると既に亀山駅で出発準備をしているとのこと、列車通過まであれこれお話をしながら楽しい時間を過ごすことが出来ました。

 







2024/02/24 16:54:05|その他
ロイヤルエンジン
 天皇誕生日が間近だったから、ということではないのですが、先日、埼玉市大宮にある鉄道博物館に収蔵された、ロイヤルエンジンこと、お召し列車牽引専用機関車 EF58-61電気機関車を見学してきました。
これは、主に昭和天皇が国内を行幸される際のご乗用列車を牽引するために製作された特別な機関車で、通常のEF58型に専用の装飾や装備が施されているものです。
 お召し列車牽引以外でも、臨時列車牽引などで平成の御代にも使用された実績がありますが、近年は出番がなく、数年前に廃車された後は機関区で大事に保管され、昨年、晴れて博物館入りしたものです。
私はこれまでこの機関車を写真や動画でしか見たことはなかったのですが、専用機ゆえの稀少性、「ため色」といわれる艶やかな褐色と金銀の装飾で縁取られた車体、磨き出された足回りなど流麗な姿に惹き付けられるものがあり、いつか実車を目に焼き付けたいと思っていました。
 今回、現役を退いたとは言え、博物館でその姿をじっくり見ることが出来て、ようやくその夢を叶えることができました。

博物館には明治時代からのお召し列車用客車も展示されており、今後はぜひこの機関車が牽引した新1号お召し客車も展示して欲しいと願っています。
 ところで、わが関西本線も伊勢神宮や奈良、京都へ通じるメインルートであったことから、過去にお召し列車が幾度も運転されたと聞きます。残念ながら電化区間ではなかったので、EF58-61が牽引することはありませんでしたが、装飾されたC57型蒸気機関車などがその任に当たったようです。今は、近鉄線を利用になられることが常のようですが、再び関西本線が整備され、その栄誉に浴することができると良いですね。







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