なべ重 つれづれ草

つれづれなるままに、日暮らしコンピュターにむかいて、心に移りゆくよしなし事を、  勝手気ままに、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
 
2011/06/25 2:50:23|芭蕉の句
芭蕉 夏の句
 芭蕉「おくのほそ道」旅中、曽良書留と記されている。
 
尾花沢から立石寺へ行く、道の道中の畑に紅花が一面に咲
 
ていた。当時、山形盆地に多く栽培され、芭蕉訪れた時紅花
 
が開花直前だったらしいです。
 
紅花=花の色は黄色いが、花を摘んですぐに水にさらし
 
         させる。何度も繰り返し赤色色素を抽出させる。
 
         江戸時代には小町紅として口紅が販売されていた。 
 
     叉、現在は紅花の種子を搾った油は紅花油(サフラ
 
         ー油)サラダ油やマーガリの原料になっている。
 
ドナルド・キーン=アメリカ人で日本の伝統芸能や文学、俳
 
                      に興味を持ち、「おくのほそ道」を英語訳し
 
                      て本などを発行している。最近、日本に帰化
 
                      したと新聞に記載されていた。
 
 







2011/06/17 0:51:48|芭蕉の句
芭蕉 五庵 6
服部土芳句・・・紫陽花や手まり程づつ雨の露蓑虫庵は1699
 
年11月26日焼失する。その後門人、土田社若(正崇寺に眠
 
る)らの援助により再興された。
 
土芳没後、庵は荒廃になったが東町の豪商築山桐雨氏、その
 
後、片原町の豪商服部猪来氏により再興されている。
 
明治時代に入り菊本直次郎、濱邊毎文、町井台水・・・・・
 
上野に縁故のある篤志家に継承され、敷地も拡張、南門(現
 
在の東門)や中門が建てられた。
 
昭和に入り、管理棟背後の茶室や芭蕉堂が建てられ、土芳の
 
供養塔、句碑等も整備されました。
 
昭和30年12月に上野市の所有となり、翌年から一般公
 
れ、 蓑虫庵は芭蕉の熱烈な支援者によって何とかその命を
 
保ってきたと言えるではないでしょうか。
 
写真説明、庭園のガクアジサイ。茶室にぎり口。なぜか知
 
いが一つの建物に茶室が二カ所存在していた。







2011/06/12 2:01:00|芭蕉の句
芭蕉 五庵 5
芭蕉の高弟、服部土芳は藤堂藩士として内海流槍術師範の
 
にありながら、槍を棄て俳諧の世界と導かれて行く。
 
蓑虫庵は、江戸時代の典型的な茶室で新緑の垣根と石畳みを
 
渡って行くと何も飾らない「わび、さび」の自然の茶室に入って
 
行く。庭には石灯籠や松が残っていて、当時の俳人の住居
 
、生活環境が想像できて興味深い。
 
又、現在でも句会やお茶会が催しされていると聞く、私も
 
地元に住んでいるが蓑虫庵の前を通っていても中の様子が
 
らなかった。
 
昭和13年1月19日、蓑虫庵が県史蹟に指定される。







2011/06/06 23:30:14|芭蕉の句
芭蕉 五庵 4
服部土芳は明暦3年(1657)伊賀上野で木津孫次郎保何の5
 
男として生まれ、のち藤堂藩主服部家の養子となり、涯を独
 
身で通した。 享保15年(1730),74才で没するまこの庵
 
で住み、その間蕉門伊賀連衆の要となり、芭蕉の業を後世
 
に伝えるため、「蕉翁句集」「蕉翁文集」「三冊子」など筆録し
 
た。その他「蓑虫庵集」がある。
 
             そっと            つ            つる  そば
土芳句碑・・「卒度往て若菜摘まばや鶴の傍」元禄9年(16
                                               せっし
6)正月七草の夜、雪芝(現在本町郵便局前、筒井家商家、
 
豪商 雪芝亭があつた)の祖母が八十八才の祝をた時の句。
 
土芳の句碑は蓑虫庵、旧正門を入っ所に在り、台石がない。
 
元禄7年(1694)10月12日午後4時、大阪南御堂、花屋
 
ヱ門の静かな奥座敷で芭蕉翁永眠する。 服部土芳が中心に
 
なり賀の門人たちが、せめてはと形見の遺髪を伊賀に持ち
 
り、松尾家の菩提寺(愛染院)に芭蕉翁故郷塚として葬られ
 







2011/06/03 1:32:10|芭蕉の句
芭蕉 五庵 3
芭蕉の句 なづな塚・・「よく見ればなづな花咲く垣ねかな」貞享
 
3年(1686)43歳、江戸・深川での作。
 
古池や蛙・・・と同年に詠まれていて、昭和14年庵の所有者、
 
菊本碧山氏が自から筆をとって建立された句碑。まるい形の
 
自然石をうまく組合わせ、角柱の「古池や・・・」の句碑とは対照
 
的で、餅をふくらませたようなやわらかい感じを受ける。
 
芭蕉堂=昭和5年12月滋賀県膳所にある義仲寺芭蕉堂に
 
らい菊本氏が小さな庵を建立されたもので、堂内に舟仙作芭
 
蕉像が安置されている。