スリランカ初代 J.R.ジャヤワルダナ大統領は11人兄弟
の長男として生まれました。コロンボ大学で優秀な成績を修
め、法律家となり1951年当時、大蔵大臣の役職の時。
日本の戦後処理のサンフランシスコ講和会議9月6日席上、
英語で15分に及ぶ講演をしました。前回も書きましたが仏
陀の言葉を引用、もう少し解りやすく説明すると。
「戦争は戦争として終わった。もう過去の事で我々は仏教徒
である。やられたらやり返す、憎しみは憎しみで返すだけで
は、いつまでたっても戦争は終わらない。
憎しみで返せば、憎しみが日本側に生まれ、新たな憎しみ
の戦いになって戦争が起こる。戦争は憎しみで返すのでは
なく、優しさ慈愛で返せば平和になり、戦争が止んで元の平
和になる。戦争は過去の歴史である。もう憎しみは忘れて、
慈愛で返していこうと」スピーチしました。
その後、更に政界引退後も日本をたびたび訪れ。日本の仏
教関係者をスリランカに招待するなど日本と、スリランカの
交流に尽くし1996年90歳で亡くなりました。
死去に際し遺言により、"私が死んだら"角膜提供を右目は
スリランカの人に、左目は私がこよなく愛した日本人に贈っ
て下さいと言われました。その後スリランカ献眼協会から日
本に今までに約3000個ほどのの角膜が贈られている。
お礼にあるメガネメーカーから不要になったメガネを、スリラ
ンカ国民に沢山寄贈されている。
また、神奈川県鎌倉市、高徳院 鎌倉大仏の敷地内に
彼の功績を世に伝えるために、大統領の顔入りの石塔が
建てられている。その後日本各地に銅像などが建てられた。
現在も起きている、国家間の争いも各家庭の問題も忘れら
れている、J.R.ジャヤワルダナ大統領のメツセージを、もう
一度理解して頂きたい。