なべ重 つれづれ草

つれづれなるままに、日暮らしコンピュターにむかいて、心に移りゆくよしなし事を、  勝手気ままに、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
 
2012/08/16 0:54:16|「マイエンザ」
おばけスイカ
マイエンザ(えひめAI−2)で育てた大きなスイカ 重さ9.5kg
 
伊賀市丸の内、家庭菜園をされている人からいただきました。
 
その人は長年教師をされて、定年になってから趣味で野菜作
 
りをされたそうです。
 
私は広めているマイエンザ液を1,000倍に薄めた水を畑の
 
土にかけたら驚く程の大きさに育ったと言って届けていただき
 
昨年に続き2回目です。又 色々な家庭菜園されている人か
 
ら野菜などが大きく育ち糖度が増し喜んで頂いております。
 
マイエンザは納豆とヨーグルトで培養した素晴らしい微生物酵
 
素で、私は自宅の倉庫の片隅で8年ほど前から製造していま
 
す。
 
 ☆1升瓶の大きさと二つに割った切り口の上にのせたタバコ 
 
   の大きさに比べてくだい、見事な大きさです。 
 







2012/08/12 1:21:57|芭蕉の句
芭蕉 8月の句
寿貞と言う女性の死んだのは元禄7年6月2日江戸深川で亡く
 
なり。又、芭蕉もその年の10月12日に大阪 南御堂前、花屋仁
 
左ヱ門宅で亡くなっています、人生不思議な巡り合わせです
 
寿貞について色々な説がありますが、宗房(芭蕉)も寿貞も幼
 
き頃、当時の侍大将 藤堂新七郎に使え、幼なじみではなかっ
 
たのでは無いでしょうか。寿貞が芭蕉にとって並々ならぬ関係
 
にあった女性である事は想像できます。
 
芭蕉は兄に招かれて故郷伊賀上野に戻り盆会に参列して、
 
「家はみな杖にしら髪の墓参」と詠んでいます。
 
その席には寿貞の位牌が無く、表向き仏壇に祀てやれない寿
 
貞のことを思うと、「数ならぬ身となおもひそ・・」と言わずには
 
いられなかったのでは無いでしょうか。







2012/08/03 3:09:49|芭蕉の句
大垣 奥の細道むすびの地記念館  9
不易流行(ふえき りゅうこう)は芭蕉さんの提唱した俳諧理念。
 
哲学の一つ「不易」は永遠に変わらない「伝統や芸術の精神」。
 
例えば5、7、5の言葉、季語の存在、キレと呼ばれる流れの不
 
変の鉄則を維持し「風雅の誠」を求めて行く変えては行けないも
 
の。
 
「流行」は昔からある和歌や歌枕などに比べ、絶えず新しい句材
 
を求め、新しい表現を心がけないと句が風化してしまう、世の中
 
は常に移り変わってゆく、永遠に流行を求めて終わりはない。
 
 
激動する現代、目先の価値観にとらわれ、短期的に実用的なも
 
のを求めがちですが、このような時期だからこそ「不易流行」の意
 
味をじっくりと考えてみたいです。
 
☆水門川にかかる朱塗りの住吉橋







2012/07/30 1:49:45|芭蕉の句
大垣 奥の細道むすびの地記念館  8
☆岐阜県指定史跡 住吉灯台と大垣市指定史跡 船町港跡
 
住吉灯台は、元禄の時代港の標識と夜間の目印として建てら
 
れ、高さ約8m四角の寄棟造りで、最上部の四方には油紙障
 
子がはめ込んであり昔の情緒ある芸術品として残されていま
 
す。春は新緑の緑、夏は川面にホタルが飛び、秋には紅葉と
 
想像すると又行きたくなります。
 
船町港は江戸時代から明治時代にかけて大垣城下と桑名、
 
伊勢と結ぶ運河「水門川」の河港で物資の集散と人の往来の
 
中心として栄えました。
 
 







2012/07/22 10:04:51|芭蕉の句
大垣 奥の細道むすびの地記念館 7
奥の細道 結びの句 自然との出会い,人との出会い,この旅
 
で沢山のものを得た芭蕉さんは,大垣で何とも変えがたい人
 
の情を頂き,はなれがたいハマグリの貝と身が別れるような,
 
別れの悲しみをこらえながら感謝の気持ちを込めて川舟で
 
一句詠みました。
  
 「蛤のふたみに別れ行く秋ぞ」  
 
添文 旅のものうさもやまざるに,長月6日になれば,伊勢の
                                                                     ながつき
遷宮拝まんと,また舟にのりて。
せんぐう  
 
訳 (長旅のつかれはまだとれませんが,9月6日になったの
 
で,10日におこなわれる伊勢神宮の遷宮式に参詣するため
 
に,舟にのりました)
 
  史蹟 船町港跡近くに変わった形の句碑と芭蕉記念館内に
  飾られていた書