まず初めにスリランカと日本の関係を書きたいと思います。
「日本のため池のルーツはスリランカにあった」 日本の農業を支えて
きたのは、長い年月をかけてつくられてきた灌漑システムと、そのすぐ
れたコスモンズの原則 (そこに生活する人々が中心となり、みんなの
財産をみんなで管理する) 社会的共通資本システムです。
スリランカでは、紀元前4世紀頃、最初の王国が築かれたがそれは
高度に発達した文明をもっていました。
古代王国のあと、シンハラ王国が栄え紀元前2世紀から3世紀にかけ
て、土木と建築に付いては世界でも比類の無い水準を保ち、1~10世
紀にかけて仏教文明が花開き、当時世界で最も豊かな国のひとつでし
た。その豊かさを支えていたのが「ため池」でした。
スリランカでは高地で農業が営まれ、年2回モンスーンに見舞われます
が、他の時期はほとんど雨が降らないので「巨大なため池」を数多く作
って雨季の雨をため、農業用水と生活用水に利用し、非常に高い農業
生産性を誇っていました。
4世紀の頃、中国の僧侶、法顕(ほっけん)がシルクロードを通り仏教
を深く学ぶためインドに向かいますが、インドではすでに仏教が廃れて
いた為スリランカに渡り、当時の留学僧は仏教だけではなく、すぐれた
技術、政治、社会性など特に「ため池」の土木技術や管理方法を習得し
「高僧法顕伝」として中国に持ち帰りました。
弘法大師空海(774~835)が留学僧として長安で、2年半学び仏教
とため池灌漑に関する技術的知識、コスモンズの原則を学び讃岐の国
へ持ち帰り、朝廷に申し出て総監督として旱魃に苦しむ讃岐で満濃池
の大修理に821年成功させました。
空海はその後、四国を初めてして全国に廻って、このスリランカの灌漑
技術、コスモンズの法則を広めました。 現在も日本のいたる所に弘法
大師が杖を地面に、たたくと温泉や湧き水が吹き出たと言う話が色々な
場所で見かけます。
現在も形が変わっていても、スリランカのコスモンズの原則が生きてい
る、たえば各地域の水利組合、国の水資源機構だと私は思います。