なべ重 つれづれ草

つれづれなるままに、日暮らしコンピュターにむかいて、心に移りゆくよしなし事を、  勝手気ままに、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
 
2012/10/10 10:25:09|芭蕉の句
10月 芭蕉の句
伊勢の国の斗従と美濃の志考が伊賀に帰省中の芭蕉を訪
            とじゅう    みの     しこう              
れたときに詠んだ句。
 
芭蕉生家「釣月軒」西隣の「無名庵」で月見の宴に二人が間
 
に合わなかったので、何かそばでも出してふるまいたいと思
 
ったが、山里では今年の新蕎麦はま出ていない。蕎麦の花
 
でも見てゆっくりとくつろいで下さい、という心温まる珍客へ
 
の想いが秘められている。
 
福地砦・・・名阪国道上柘植インターから東500mのの所に
 
       中世の城館があり、この地方は古代末期伊勢の
 
       国から一族が、鈴鹿山脈を越え伊賀に土着し
 
       伊賀平氏の根拠地となった所で。 今は石垣
 
       み残り跡形も無い。







2012/10/08 0:43:39|西嶋八兵衛
大16回 西嶋八兵衛 茶会 3
八兵衛茶会に出席した時、受付で高松市歴史民俗協会発
 
行機関誌、平成23年3月発行「れきみん」を読んで下さいと
 
いって会報を渡される。よく見ると22年11月13日(土)バス
 
で21名西嶋八兵衛ゆかりの地を訪ねてこられた時、西嶋八
 
兵衛菩提寺、正崇寺山門前で私も入っている集合写真が載
 
っていました。
 
まさかと思いよく読んでみると私が一行を色々と案内した事
 
が書かれていた。今回高松に訪問して前案内した人達と再
 
会出来て写真をみて懐かしく思いました。
 







2012/10/04 0:13:27|西嶋八兵衛
大16回 西嶋八兵衛 茶会 2
紫雲山を望む栗林公園中庭一郭に西嶋八兵衛が刻んだ
 
「大禹謨(高さ58p、横20p、重量39.6s」の川石が設
 
置されていた。
 
立て札には「栗林公園のある敷地は、香東川の東の流れの
 
床であつた。寛永年間(1630頃)にこの東の流れを堰き
 
とめ本園は、大名庭園として改修が西嶋八兵衛により行わ
 
れた。
 
その後この石碑は西嶋八兵衛が河川改修をした際、中国の
 
王朝の始祖であり治水に優れていた禹王の偉大なるはか
 
りごとにあやかろうと「大禹謨」と自ら書き川中に祀ったもの
 
である。大正元年(1912)に市内香川町で発見され、昭和37
 
年(1962)7月7日に保全と顕彰のため本園に移したもので
 
ある」と書かれていた。
 
禹王・・・紀元前、黄河の洪水を治め夏の国王となる。
 







2012/10/01 10:17:00|西嶋八兵衛
第16回 西嶋八兵衛 茶会

高松市栗林公園内で、讃岐の水の恩人
 
西嶋八兵衛を称えて「第16回八兵衛茶
 
会」主催者から招待を受け参列する。
 
上野から新幹線に乗り5時間の旅でし
 
た。
 
高松では西嶋八兵衛を水の神様として
 
市民から親しまれて毎年開催されてい
 
ます。
 
私は2回目ですが参列者はそうそうたる
 
メンバーで高松市歴史民俗協会会長
 
高松大学学長、自由民主党県連 幹事長
 
西嶋八兵衛顕彰会会長・・・・台風の接近
 
雨が降りましたが室内で多くの人達で
 
盛大におこなわれました
 
土居宗美社中のお茶会で参列者全
 
にお茶が振る舞われ、大禹模と書か
 
れたお茶菓子には驚き、八兵衛さんは
 
市民から尊敬され改めて関心しました。
 
大禹模と書かれた石が発見されて100
 
年目と聞き郷土愛の歴史を知らされる。
 
栗林公園、商工奨励館中庭に設置され
 
大禹模塔。
 







2012/09/26 2:03:06|スリランカの旅
8回目のスリランカ訪問 4
シナモン作りを体験する、4mぐらいに成長したシナモン枝木
 
2mぐらいに切り取り加工して行く、道具はとてもシンプルだが
 
技術がいる。
 
本によるとシナモン毎日摂取すると、毛細血管が拡張して血
 
行がよくなり、さらに加齢とともに細く弱っていく毛細血管の減
 
少を抑えるそうです。毛細血管が減少すると、酸素や栄養を
 
全身に運ぶ機能が弱くなり、皮膚も衰えシミ、シワ、たるみが
 
出てきて冷え性の原因にもなるそうです。
 
又、毛細血管が弱れば心臓や肺などに送られる血液も減少し
 
臓器の機能が低下して骨粗しょう症、肝障害、アルツハイマー
 
病などにもつながると書かれていた。