なべ重 つれづれ草

つれづれなるままに、日暮らしコンピュターにむかいて、心に移りゆくよしなし事を、  勝手気ままに、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
 
2008/06/07 23:49:22|なべ重 つれづれ草
自然の恵み米と麦
伊賀市、広々とした田園地帯には天の恵み
 
水田と隣の土地では麦の収穫を待つばかり
 
の穂は黄金色に輝いている、何故か知らない
 
が近年麦畑はく見かける、世界的に麦は
 
不足と報じられているが伊賀市は心配無いと
 
私は思う。







2008/06/06 22:59:18|西嶋八兵衛
溜池 亀井池
西嶋八兵衛(1596〜1680)、正保4年4月
 
26日(1647)山畑新田の開墾時に、新たに
 
水源として旧伊賀町に亀井池を造り、江戸三
 
老に完成の伺い書を出している、その文書は
 
今も残されている。
 
又改修を加えつつ現在もなお農業用水として
 
使われている。
 
 







2008/06/05 17:24:20|西嶋八兵衛
故郷 水車
伊賀市上林地区で珍しい水車発見、道路端2
 
00m間に約12台ほどに動いて、水田には水
 
はあふれている,今から350年ほど前、西嶋
 
八兵衛は伊賀地方に農業用のため池29を
 
新設14の池を改修、これらのほとんどが改
 
修を加えつつ現在も残り、人々に恩恵をもた
 
らしている。八兵衛さんは山間部にため池を
 
造のは特長で、水の争いの無いように大き
 
線香をともし、線香が燃え尽きると、太鼓を鳴
 
らし水門を開き次々と下流に水を分配してい
 
たと聞く。







2008/06/02 21:19:48|なべ重 つれづれ草
伊賀市の棚田風景
テレビで入梅宣言は放送され、伊賀地方は田
 
植えを終えた、棚田はあちこちで見られる、
 
盆地に囲まれているため、棚田は多い。奈良
 
時代は東大寺や法隆寺などの、荘園は伊賀
 
地方におかれ小船で木津川を下り、伊賀米
 
の美味しいお米は運ばれていた。だからお酒
 
も美味しい又、江戸時代になると、大阪の中
 
ノ島公会堂近くに米蔵は沢山あり、大阪の食
 
文化を支え藤堂家の屋敷もあつた。







2008/05/20 22:01:05|スリランカの旅
スリランカより、便り NO2
広い運動場で、のびのびと遊ぶ園児姿は無
 
邪気で元気は良く、大きな瞳は輝いている。
 
スリランカの子供たちは、音楽のリズム勘は
 
バッグンだ、曲に合わせて身体を「くねくね」と
 
動かす、はとても出来ない、幼稚園の時か
 
ら園児に先生は指導している。