| 八兵衛は用水路を守る後々の為、日常的な 点検・保守管理を箇条書に書き定め、若庄屋組 頭を置き何か事が在ると、各村々の庄屋組頭 共相談して補修させた。 その後、明暦4年(16 58)、延宝8年(1680)の2回、雲出井手郷中 へ「定」(雲出井水掟書)が出され、庄屋、年寄 がその受書に署名押印して約束を守ることを明 示している。その文書は今も残されている。 驚いた事に現在も雲出井土地改良区の役員は 毎日軽トラツクで雲出川の取水口迄、水量やゴ ミが詰まっていないか点検をしていると聞き、農 業用水を守る為素晴らしい歴史の重みを感じさ せられた。 八兵衛死後4年後、雲出井の郷民はJR高茶屋 駅の西南、古松そびえる丘、分水地点隣に「水 分神社」 を建立する。八兵衛宮とも言う昔は神 みくまり 前で雅楽を奏し獅子舞、相撲などして五穀豊穣 を祈った。又同地に明治42年顕彰碑「西嶋翁 遺功碑」も建てられ、又大正4年11月10日大 正天皇御即位の大典で「正5位」の位を贈られ 津市において盛大に式典がなされた。翌年上 野において伊賀史談会主催で 正崇寺に贈位 記念碑は建てられ、式典は行われた。 香川県 に於いては県下の功臣の霊を祀りて護国神社 境内に一社を建て、八兵衛も神位に加わる。 現在も「水分神社」において毎年4月19日には 神職、雲出井土地改良区その他、水に関係す る人たちは寄り集まり、神事をしてから田植えを 始めている。 |
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