ぼくのペーヂ

これは、管理人(ワダガンツ)が作ったブログです。このブログでは、いろんなこと(ニュース、お知らせなど)をどんどんうpしていきます。でもたまに書くことがなくて、更新しないかもしれませんがよろしくお願いします。 荒し目的の方は早々とご退出ください このサイトは携帯でも閲覧できますがあまりお勧めできません。(携帯の絵文字はPC上で表示出来ないのでやめてください)
 
2009/11/08 0:45:09|ニュース
世界でもまれに見るほど何もかもがビッグサイズな女性たち
小柄な女性を好む男性が多いようですが、世界には平均的な男性を圧倒するほど巨大な女性たちがいます。彼女たちのビッグさに触れれば、大きさや小ささに悩むことなど、どうでもいいことだ……と思えるようになるはず。

というわけで、全世界のビッグサイズな女性たちは以下から。

World`s Biggest Woman (15 pics) AcidCow.com - videos, pictures, celebs, flash games

男性の方が小さすぎるように感じますが、入り口の天井高を見ればそうではないというのがわかるはず。


高さだけでなく横幅もボリューム満点


巨人症っぽい雰囲気


全体的に大きくした感じ


胸も大きい


着る服を探すのが大変そう……


スポーツだと体格の良さは圧倒的アドバンテージ


対比がすごい


これも巨人症か?


すらっとして背が高い


ビッグ・カウガール


こうやっていろいろと見てみると、Photoshopか何かで画像加工したのが一枚ぐらい混じっていて欲しい気分に……。







2009/11/08 0:41:28|ニュース
外国人が日本に来たら絶対に体験しておくべきことトップ10
実は日本はかなり変わった文化の国であるため、海外の人が日本に来るとイロイロと物珍しく映るようになっているわけですが、その中でも特に「日本に来たらこれだけはやっておけ!」というのがあるようです。海外の人を出迎える時に参考にすればよい体験をしてもらえるようになるかも。

というわけで、海外の人が日本に来た時にすべきだという10個の体験を見てみましょう。

詳細は以下から。


Top 10: Things You Should Do In Japan - AskMen.com

第10位:日本語を話してみる(話そうとしてがんばってみる)
確かに英語だと世界中のいろいろなところで使われていますが、日本語はあまり使われていないのに加えて、ひらがな・カタカナ・漢字の3種類を組み合わせているので、貴重な体験になるのかも。

第9位:相撲(スモウレスリング)を見に行く
上半身裸の巨漢たちが激しくぶつかり合い、日本の国技的位置づけにある相撲を見るというのは確かにいい思い出になりそう。

第8位:カラオケで曲を歌う(それも大声で)
カラオケは海外でも「KARAOKE」と呼ばれてそのまま日本語発音が単語になっているぐらいなので、日本発の文化として確固たる地位を築いていると言っても過言ではないはず。

第7位:新幹線に乗ってみる
よくよく考えるとこれだけ鉄道関係が発達しているというのは世界的に見ても非常に珍しく、定刻通りに電車が来るのが当たり前で、JR東海が新幹線技術を海外に売り込もうとがんばっており、アメリカでもオバマ大統領が高速鉄道を作ろうとしていることから考えても、一度新幹線に乗ってもらうというのはなかなかナイスで先進的な体験になるはずです。

第6位:回転寿司を食べる
寿司だけでもかなり人気があるというのに、さらにベルトコンベアに乗った寿司がぞろぞろと出てくる光景は海外の人にとってはかなり異様なようです。そのため、実際に時間制限無し食べ放題の回転寿司「Ryugu亭」に行った時も海外の人だらけでした。

第5位:秋葉原に行く
いわゆるオタク文化とかその他諸々いろいろなものがあれだけの面積にごっちゃごちゃに固まっているというのは確かに圧巻。日本人でも秋葉原に行ったことのない人があの光景を見ると、思わず「おおー」と言ってしまうということは、ほかの国の人が見ればもっと「おおおおー」となる、というわけ。

第4位:パチンコをしてみる
さまざまな問題をはらんでいるパチンコですが、そもそも海外のカジノではパチンコなんてものはないに等しいのに加え、海外の人から見ればギャンブル以下のギャンブル、賭博にしては割が合わず、しかも中毒者が続出ということで、確かに一度は見てみたいと思うのかも。

第3位:ラブホテルで一夜を過ごす
ラブホテル・レジャーホテル・ファッションホテル・ブティックホテルといろいろな呼び方はありますが、要するにこういうホテルは海外ではほとんど「ない」わけなので、通常のホテルに泊まるのと同じようにこれ系のホテルに泊まれば(泊まることができれば)、日本人の文化に対する理解がより深まる……のかもしれません。

第2位:温泉・銭湯に行く
そもそも湯船に山ほどお湯を張ってそこにどっぷり浸かるということ自体が海外では一般的ではないのに加えて、「大浴場」のあのどことなく一風変わった空気感はかなり物珍しく感じられるはずです。

第1位:富士山に登る
日本で最も高い山・富士山はいろいろな浮世絵や風景写真に登場する頻度が高いため、富士山に登頂するということはかなりよい経験になるはずです。







2009/11/08 0:35:16|ニュース
小学館の学習雑誌「小学五年生」「小学六年生」が休刊、87年の歴史に幕を閉じる
小学館の学習雑誌「小学五年生」と「小学六年生」が休刊することが明らかになりました。

1922年(大正11年)に小学館が創立した際に、ほかの学年向け雑誌に先駆けて創刊され、実に87年の歴史を持つ2誌ですが、2009年度末で幕を閉じることになります。

詳細は以下から。


「小学五年生」「小学六年生」が休刊 小学館 - MSN産経ニュース

小学館:「小学五年生」と「小学六年生」休刊へ - 毎日jp(毎日新聞)

産経新聞社および毎日新聞社の報道によると、小学館は学習雑誌「小学五年生」と「小学六年生」を2009年度末の号で休刊する方針を明らかにしたそうです。

これは社会状況や学習環境が急激に変化したことにともない、読者となる子どもたちの趣味や嗜好の多様化が進んだことによる発行部数の低迷を受けたもので、昭和48年4月号で「小学五年生」は63万5000部、「小学六年生」は46万部という最大発行部数を記録したものの、最近は5〜6万部で推移していたとのこと。

なお、休刊した2誌に代わって新たな学習漫画雑誌「GAKUMANPLUS(仮題)」が創刊される予定となっています。







2009/11/06 0:26:20|ニュース
著作権侵害ファイルを全部消さないと毎日1ユーザーごとに約70万円の罰金を課す判決が約2200万人の利用者を持つサイトに下る
BitTorrent用のトレントファイルを大量に置き、検索可能な状態にし、全世界に約2200万人のユーザーがいる「The Pirate Bay」に対し、凄まじい内容の判決が下されました。

詳細は以下から。


AFP: Dutch court orders Pirate Bay to remove links

Court Orders The Pirate Bay To Delete Torrents | TorrentFreak

アムステルダムの裁判所の出した判決によると、The Pirate Bayに対して3ヶ月以内に著作権のあるトレントファイル(著作権を侵害しているファイルそのものではなく、あくまでもファイルの場所を示すファイルに過ぎず、実体はない)についてすべて削除すべきであると裁決しており、オランダのユーザーが著作権を侵害しているトレントファイルをダウンロードできないようにアクセスを制限しなくてはならないとしています。

もしこの判決を無視すれば、The Pirate Bayの3人のオペレーターは1ユーザーごとに5000ユーロ(約68万円)の罰金を毎日支払わなければならず、その最大額は3000万ユーロ(約41億 1500万円)に達するとのことです。2009年10月8日に行われたWinnyの大阪高裁判決では金子氏に対して「著作権侵害に使うよう利用者に勧めておらず、ほう助は成立しない」「1審のように認めると、ソフトが存在する限り、無限に刑事責任を問われることになるので、罪刑法定主義の見地から慎重でなければならない」として、無限に責任を問い続けるのは不可能であるという主旨のことが触れられ、無罪判決に結びついたわけですが、オランダでは逆にほぼ無限に責任を問うようになったようです。

この件について、The Pirate Bayの設立者であるFrederik Neij、Peter Sunde、Gottfrid Svartholmmenの3人は上訴すべきかどうかを検討中だそうです。

これが3人の設立者たち


既にこの件とはまた別に、スウェーデンの裁判所によって今年の4月17日に有罪であるという判決を出されており、懲役1年と映画とレコード業界に対して 3000万スウェーデンクローナ(約4億円)を払うように命じられている件については上訴中なので、今回も上訴する可能性は非常に高いと思われます。

なお、前回の判決時には「よい映画では常に、ヒーローは最初に敗北を喫するが、最後には大勝利を収める。それはハリウッドがわれわれに教えてくれた唯一のことだ」と言ってみたり、あるいは著作権無視を公言し、意図的に違法コピーを援助していると明言したり、かなり過激な言動でも知られており、一連の裁判については海外のWikipedia上で詳細にまとめられています。

The Pirate Bay trial - Wikipedia, the free encyclopedia

日本のWinny裁判と違って、露骨に著作権侵害を明言しているため、かなり悪質であると判断されたようです。







2009/11/06 0:22:24|ニュース
ダ・ヴィンチの失われた大作が宮殿の壁の裏に隠されているかもしれない


レオナルド・ダ・ヴィンチの未完の大作「アンギアーリの戦い」は1503年から1505年ごろにフィレンツェのヴェッキオ宮殿の壁画として描かれ、完成すればダ・ヴィンチ最大の作品であるとともにその芸術性でも代表作となっていたはずと言われるものですが、その後1555年から1572年にかけてのジョルジョ・ヴァザーリによる改修によって失われました。

その失われた大作が、ヴァザーリ作の壁画に隠されたメッセージにヒントを得た大学教授により発見されるかもしれないとのことです。なんだかダン・ブラウンの小説かハリソン・フォードの映画のような話ですが、一体どういうことなのでしょうか?

詳細は以下から。

Italian palace fresco may hide Leonardo da Vinci masterpiece - Telegraph

Has Italian art professor cracked the code of missing da Vinci masterpiece? | Mail Online

イタリアの美術史家Maurizio Seracini教授は「アンギアーリの戦い」がヴァザーリによる1563年作のフレスコ画「The Battle of Marciano in the Chiana Valley」の裏に隠されていると考えています。レーダーとX線による調査ですでにこの壁画の裏の壁に奥行き1インチ(2.5cm)ほどの空洞があることが明らかになっており、この1インチはダ・ヴィンチの壁画を保護するためにヴァザーリが残したすき間だと考えられるようです。

「アンギアーリの戦い」はヴェッキオ宮殿の大会議室に描かれ、改修時に塗りつぶされたと考えられていたのですが、どの壁のどの位置に描かれていたのかまでは明らかになっていません。Seracini教授は30年以上前にヴァザーリの壁画に隠されたあるメッセージに気づき、「アンギアーリの戦い」はこの裏に残っているはずだと考えたそうですが、技術の進歩によりようやく壁画を傷めずに詳細な調査をすることが可能になり、空洞を発見できたそうです。

これがダ・ヴィンチの壁画の上に描かれたとされるヴァザーリの「The Battle of Marciano in the Chiana Valley」。赤で囲まれた部分に描かれた軍旗に、ヴァザーリからのメッセージだと考えられる言葉があります。


こちらがその部分の拡大。「Cerca Trova」とは「探しなさい、そうすれば見つかるでしょう」といった意味で聖書にも出てくる一節のようです。


教授は次に中性子線投射器を使って壁の奥にダ・ヴィンチが用いたとされる亜麻仁油ベースの絵の具が存在するかどうかを調査する許可をフィレンツェ市から受けているそうです。ヴェッキオ宮殿は現在フィレンツェ市庁舎として使われているのですが、フィレンツェ市長Matteo Renzi氏のスポークスマンは「ヴァザーリの壁画はそれ自体が重要な作品であり、法的な問題も出てくるでしょう。わたしたちは現在のところは、壁の裏にレオナルドの絵画があるのか無いのかを明らかにしたいだけです。何も見つからない可能性もあります。しかし、本当にレオナルドの作品が残っているのだとすれば、世界的に非常に重要なものとなるでしょう」と語っています。

「長年の間あらゆる資料にあたってきましたが、壁画が破壊されたり、損傷したり、別の場所へ移されたと示唆するような文言はどこにも見つけられませんでした」とSeracioni教授。「レオナルドの同時代人の間では彼の最高傑作だと考えられていました。ルネサンス初期の芸術の最高到達点を具現する作品だったのです」

「アンギアーリの戦い」(部分)のルーベンスによる模写(ルーヴル美術館蔵)


1603年にルーベンスがこの模写を描いた時にはすでに元の壁画は失われていたので、これは1558年のLorenzo Zacchiaによる版画を元に模写されたものとのことです。写真が無い時代に失われたにもかかわらず多数の模写によりその姿が伝えられていることからも、ダ・ヴィンチの作品の同時代の芸術家たちからの評価の高さがうかがえます。

ヴェッキオ宮殿の改修を手がけたヴァザーリによるほかの壁画にも、「アンギアーリの戦い」を参考にしたと思われる部分があります。著書「画家・彫刻家・建築家列伝」の中でも「アンギアーリの戦い」を絶賛しているヴァザーリがそれをみすみす塗りつぶすとは確かに考えにくいのではないでしょうか。


こちらはダ・ヴィンチ本人による「アンギアーリの戦い」のためのスケッチ。


「アンギアーリの戦い」が発見されれば「最後の晩餐」の3倍はあるといわれる巨大な壁画のどこかにこれらの兵士の姿を探すことができるかもしれません。


同じく馬のスケッチ(1503-1504年)。


ダ・ヴィンチはメディチ家追放後の1503年に共和国政府から依頼を受け、ヴェッキオ宮殿(フィレンツェ共和国の政庁舎)の大会議室「500人大広間」に「アンギアーリの戦い」を描き始めました。その時の契約書はほかならぬニッコロ・マキャヴェッリがサインしたものだったそうです。また、ダ・ヴィンチが壁画に取り組んでいた同時期に反対側の壁ではミケランジェロが「Battle of Cascina」を手がけていたとのことで、これも未完に終わったのですが、ダ・ヴィンチとミケランジェロが同じ場所で同時に仕事をしたのはこの時が唯一だそうです。未完であるものの2つの作品は1512年にミケランジェロの「Battle of Cascina」の下描き(ミケランジェロは1505年に法王の墓を手がけるためローマへ呼び戻され、下描きを壁に写しはじめたところで壁画を中止しています)が、ミケランジェロをねたんだ画家Bartolommeo Bandinelliにより切り刻まれるまで同じ部屋に掲げられていました。

「最後の晩餐」でフレスコに苦労させられたダ・ヴィンチは、「アンギアーリの戦い」では壁に油彩を描きたいと考え、実験的な手法に取り組みました。しかしロウを混ぜた厚い下塗りなどで試行錯誤した結果、絵の具が流れ落ちてしまい、急いで乾かすために火鉢を絵の近くにつるすなど工夫したものの、絵画の下半分しか救うことができず上部は色が混じり合ってしまったため、この壁画をあきらめることになったと言われています。その後、この描きかけの作品はメディチ家の復権を受けた1555年から1572年の改修で失われたとされています。

ヴェッキオ宮殿大会議室の現在の様子。この右手前の壁画の裏に「アンギアーリの戦い」が眠っているのでしょうか……。