ショート・ショート 誇り高き隠蔽
この世界には、無数の「業界」が存在していました。そしてどの業界の裏側にも、外からは決して見えない深い闇が渦巻いていたのです。
食品業界では、賞味期限の偽装や謎の添加物による増量が日常茶飯事。
建築業界では、手抜き工事と中間マージンの跳ね上げが暗黙の了解。
製薬業界では、効果の怪しい薬をいかに長く売るかの知恵比べ。
どの業界の人間も、夜になると居酒屋で「まあ、うちの業界なんてどこも闇だらけさ」とウーロンハイをあおり、後ろめたさを酒で薄めていました。事実はその業界の住人にしか分からない。だからこそ、人はそれを闇と呼び、仕方のないことだと諦めていたのです。
ところが——たったひとつだけ、闇が一切存在しない奇妙な企業がありました。
その名も「アオゾラ建設」。
この会社は徹底していました。資材の仕入れ値から職人の人件費、利益率に至るまで、すべてのデータをリアルタイムでインターネット上に公開。手抜き工事は一切なし、社員の残業もゼロで、給料は業界最高水準。お天道様に恥じることなど何ひとつない、まさに「真っ白な企業」でした。
国民はアオゾラ建設を大絶賛しました。
「これこそ現代の鑑だ!」
「他の悪徳企業も見習うべきだ!」
しかし、他の同業他社からは激しい嫉妬と怨嗟の対象となりました。闇を抱えるライバル企業の社長たちは、秘密の会議室に集まり、黒い煙を吐き出しながら悪巧みを企てます。
「くそっ、アオゾラ建設め! あんなキレイ事ばかり叩きつけられたら、俺たちの商売があがったりじゃないか!」
「なんとかして奴らの『闇』を暴いてやる。人間、叩けばホコリが出るはずだ!」
ライバル会社たちは一致団結し、莫大な資金を投じて一流の探偵や裏社会の情報屋、さらには監査法人まで雇い入れ、アオゾラ建設の興信に乗り出しました。
帳簿の裏の裏、社長の愛人問題、社員の過去の過ち、資材の不正ルート……彼らは数年間、死力を尽くしてアオゾラ建設の暗部を探り続けました。
さて、数年後。
ライバル会社の社長たちが、再び秘密の会議室に集まりました。
調査を依頼された探偵の男が、報告書を手に壇上に立ちます。社長たちは固唾をのんで探偵を見つめました。
「どうだ探偵! 奴らの闇は見つかったのか!?」
探偵は深い溜め息をつき、首を横に振りました。
「……残念ながら。アオゾラ建設には、不正も、隠蔽も、裏金も、脱税も、何ひとつありませんでした。社員はみな心から会社を愛し、顧客のために誠心誠意働いています。完全に白……どこをどう切り取っても、お天道様に胸を張れる本物のホワイト企業です」
会議室に落胆と怒りの声が広がりました。
「バカな! 闇がない企業なんて存在するわけがないだろう!」
「そんなものでどうやって利益を出しているんだ! 納得がいかん!」
すると、探偵はニヤリと不敵な笑みを浮かべ、報告書の最後のページをめくりました。
「ですが社長方、ご安心ください。奴らの『闇』そのものは存在しませんでしたが……彼らがどうやってあの圧倒的な利益を生み出し、業界トップに君臨しているのか、その本当の仕掛けが判明しました」
社長たちは身を乗り出しました。「仕掛けだと……!?」
「ええ。アオゾラ建設の社長は、自社に一切の不正を作らない代わりに、ある『新事業』を裏で立ち上げていたのです。それこそが、我が国の全企業に向けた極秘サービス……『業界の闇・完全隠蔽カウンセリング&裏工作代行サービス』です」
「な、なんだと……!?」
「アオゾラ建設は、自分たちが極限までホワイトで清廉潔白だからこそ、行政や警察からの信頼が絶対的です。彼らはその完璧なブランドと信頼を悪用し、全国の悪徳企業から莫大な裏報酬を受け取って、他社の『闇』を完璧に揉み消す裏稼業を仕切っていたのですよ!」
社長たちは言葉を失い、開いた口が塞がりませんでした。
「つまり……奴らは自社を真っ白に保つことで得た『絶大な信用』を武器にして、社会全体の『闇』を誰よりも深く手広くビジネスにしていたのです。何しろ、あのクリーンなアオゾラ建設が『あの会社に不正はありません』と一言保証すれば、警察も世間もコロッと信じてしまいますからね」
あまりのスケールの大きさに、会議室は静まり返りました。
やがて、ひとりの社長が小刻みに震えながら尋ねました。
「た、探偵……その……アオゾラ建設にその裏仕事を依頼したいんだが、まずは『見積書』を出してもらうには、どこへ連絡すればいいんだね?」
探偵は最高に親切な笑顔を浮かべ、スーツのポケットから束になった書類を取り出しました。
「見積書? いいえ社長、お見積もりではありません。明日届くのは『請求書』ですよ。なにしろ、本日お集まりの皆様の不正データはすでにアオゾラ建設が把握しており……皆様がこうして疑心暗鬼で私を雇っている間にも、彼らは警察や行政の動きを裏でカンペキに揉み消し、隠蔽工作のサービスを『完了』させておきましたからね。発注がまだなんて関係ありません。断れば……分かりますね?」