ショート・ショート 神さまの退屈しのぎ
雨の日の博物館って、どうしてあんなに寂しいのかしら。 閉館のベルが鳴る十分前、古代文明の展示室には、おじいさんがひとりぽつんとお留守番みたいに立っているだけだった。
目の前には、世界中から集められた大きな大きな石壁の写真。エジプト、ペルー、イースター島、そして日本。 新米の学芸員である私は、マニュアル通りのお決まりの説明を、少し声を弾ませて始めてみた。 「こちらはですね、大昔の神聖な『祭祀施設』、つまり神さまへのお祈りの場所と考えられているんですよ!」
すると、おじいさんはゆっくりと振り向いた。 「誰がですか?」
「え?」私は目を丸くした。
「誰がそんなこと、決めたんです?」おじいさんは悪戯っぽく微笑む。
「それは……学会で、みんながそう言っていますから」
「なるほど。『みんなが言ってるから正しい』、ですか。人間って、わからないものに急いで名前をつけたがる病気にかかっているんですな。用途不明なら、とりあえず神さまの場所、ってね」
私はちょっと拗ねてしまった。だって、一生懸命勉強したんだもの。 おじいさんは楽しそうに笑うと、百トンもある石が隙間なく積まれた大きな模型の前へ歩いていった。 「当時の人々も、すばらしい技術を持っていたんですね」と私が続けると、おじいさんは優しくそれを遮った。
「現代人はね、『わかりません』って白旗をあげるのが、とっても苦手なんです。歴史の教科書だって後からどんどん書き換えられるのに、今この瞬間だけは、自分が絶対に正しいと思いたがる」
そのときだった。ピカッと激しい稲妻が走って、展示室の明かりがぜんぶ消えてしまった。真っ暗闇! 「きゃっ!」 私が情けない声をあげた瞬間、ゴォォォォ……と足元から地響きがして、床がゆっくりと開いた。そこには、地下へと続く不思議な階段が現れたのだ。
「行きましょう。冒険ですよ」 おじいさんに手を引かれ、おそるおそる降りた地下室には、息をのむような空間が広がっていた。壁一面の石板に、世界中の古い紋章が並んでいる。そして部屋の真ん中には、見たこともない黒い風船のような球体が、ふわふわと宙に浮かんでいた。
突然、その球体がポッと明るくなって、どこか懐かしい、だけど誰も聞いたことがないような声で喋りだした。
『観察対象文明、臨界段階へ到達。……相変わらず、みんな何かにすがりたがっている。わからないことを、すぐに否定したり断定したりする。ちっとも進歩していない』
「あなた、誰なの!?」私が叫ぶと、球体はクスッと笑ったような気がした。
『私たちは神さまでも管理者でもありません。ただの、通りすがりの観測者です』
おじいさんが静かに尋ねた。「では、どうして私たちを脅かすような真似をしたんです?」
球体は、まるでいたずらが見つかった子供みたいに、こう答えた。 『だって、退屈だったんだもの』
その瞬間、世界中のテレビやスマホの画面が、空に浮かぶ巨大な光の輪の映像でいっぱいになった。 世界は大騒ぎ!「宇宙人の侵略よ!」「神さまのお告げだ!」「いや、ただのプラズマ現象です!」って、みんなで大いそぎで喧嘩を始めてしまった。
地下室で、おじいさんは小さくため息をついた。 「人間は、少しは進歩しましたかね」
球体はパチパチと音を立てながら答えた。 『計算中……うーん、五千年前とぜんぜん変わらない。でもね、ひとつだけ、どうしても計算できないデータがあるの』
「何かしら」と私が聞くと、球体は愛おしそうに言った。
『こんなに不完全で、いつも失敗ばかりしているくせに、それでも、誰かの幸福を一生懸命に願う個体が、あちこちにたくさんいること』
その言葉を残して、球体は魔法みたいに消えてしまった。
それから三ヶ月。 あの不思議な光の輪は、政府によって「めずらしい大気現象」ということになり、世界はすっかり元通り、一応の平静を取り戻していた。みんな、わからないままでいるのが怖くて、大急ぎで納得したふりをしているのだ。
私は、あの「わかったふり」をする説明に疲れてしまって、博物館を辞めた。 そして、海辺の小さな喫茶店で、あのおじいさんと再会していた。
窓の外の海は、夕日に染まってキラキラと輝いている。 「私、あのお化けみたいな球体に言われたことが、ずっと胸に引っかかっていて。私たちの歴史が、もし誰かの退屈しのぎの観察日記だったら、なんだか悲しいなって」
おじいさんは、おいしそうにコーヒーをすすると、テーブルの紙ナプキンにペンで丸や三角のマークを描いた。 「大昔の人だって、この海の向こうに何があるか分からなくて、怖くてたまらなかったはずですよ。だけどね、それでも小さな丸木舟を出したんだ。意味を探すためにね。人間は不思議です。石にも、星にも、神さまにだって、いつでも『愛の意味』を探そうとする」
そのとき、お店のテレビから臨時ニュースが流れた。 宇宙からの電波望遠鏡が、不思議な数字の信号をキャッチしたという。画面に映ったのは「1、1、2、3、5、8、13、21、34、55……」という、自然界が作り出す綺麗な数字の並びだった。
フィボナッチ数列:ある項の数が、その直前の2つの数の和になる
テレビの中の学者たちは、また大声をあげて議論を始めた。「宇宙人のメッセージだ!」「ただの偶然だ!」
おじいさんは困ったように笑って、テレビのスイッチを消した。 「ほら、また始まった。人間の一番大好きな遊び。自分だけが正しい答えを知っているって、威張る遊びです」
「でも……」私は窓の外の、水平線を見つめた。「あの球体、最後に言っていましたよね。私たちは不完全だけど、それでも誰かの幸せを願うことができるって」
おじいさんは優しく頷いた。 「ええ。だからあの観測者たちも、意地悪を言いながら、どうしても私たちのことが気になって、のぞき見をやめられないんですよ」
海の向こうから、心地いい風が吹いてきた。神さまが退屈しのぎに作ったこの世界は、ちっとも完璧じゃないけれど、だからこそ、なんだかたまらなく愛おしい。私は少しだけ元気になって、あたたかい紅茶をもう一口、すするのだった。