きっかけは、はるかちゃんの
「そんなに簡単に見れると思ったらおおまちがいよ!」のセリフについて、
Andrewさん = AH教狂祖さま が、
国語の先生である寺嶋美香子先生が「見れる」と ら抜き言葉を
発しているのはいかがなものか との
ご考察をなさっていたことです。
もちろんAndrewさんも 楽しんでいっておられることでしょうけど。
ワタシは、言葉をわざと誤用したり、若者言葉とかが大好きなので、
この手のことに無頓着なのですが、
社会一般のマナーとかには、どちらかというと気になる方です。
実は、ブログを始める前に、
他の方々のブログを思いっきり楽しんでおきながら・・
「こんなにTV画像をアップして 大丈夫なの・・?」
という心理もあったのです。
前の仕事で、少なからず知的財産権を真剣に考えるべき組織の
一員だった ということもありまして・・
自分のブログを始めるとき、使ったサービスが1つの記事に画像4枚まで
というつまらないものなのですが、
逆に、「おーこれは自主規制になってちょうどいいカモ」
とぐらいに思っていました。
しかし、当然のことですが、
画像の多い方が 圧倒的に楽しいですよね。
で、話を元に戻して
「見れる」という 文法に則さない言葉は・・・
法律や社会のルールは、
デジタル世界や工学的な処理のための論理とちがって、
常に変動する状況に必ずしもフィットしないことや、
法やルールが存在しても、解釈に幅が生じたりすること
は広く認知されています。
だから、ルール違反は排除するべきかといえば
それは原則であって 必ずしもそうばかりとはいえない
・・ということになります。
しかし、これではあまりに消極的です。
で、
スッキリのきっかけは、茂木健一郎さんの影響かなと思いますが、
日常の、あるいは人生を揺さぶる感動は、
言葉や論理をはるか(!)に超越しているということです。
ようするに、言葉は大切だけれども、文法が大切なわけではない。
言葉も、感動や意志・情報を表現する手段の一つにすぎなくて、
表情やジェスチャー、
呼吸、抑揚、(前後の脈絡)とかとあわさって・・・
時には文法から外れることで 伝わるのだろうと・・・
美香子先生は、元ダメ少年たちと別れることになりますが、
もし、ずっといたら、
少年たちに、国語の勉強は大事だけれど、
もっと大事なものは 生きていく中での感動や共感、積極的な気持ち
だということを伝えたにちがいありません。
もっとも、こういうことは、言葉にするより、
美香子先生のように、子供たちといっしょに行動して
ココロで伝えるべきもので すでに伝わっているかもしれませんね。
さて、ブログの話に戻ると、
著作権法の問題、
みんなが楽しむ、もっと世界を広げる
という観点を見失ってはいけませんね。
法を守る という立場で最も悪い作用は
既得権益を守るだけにとどまることが少なくない という点です。
法を守るべきか、パッションを重んじるべきか
古来からのテーマですね。
でも二者択一ではなくて、どんどん法を改め、
法が守られるシステムが整っていけば
かなり解決すると思います。
著作権法の問題にしても、
飲酒運転やスピード違反などの問題にしても・・・
罰するためではなく、
楽しく、感動のある世の中にしていくために
積極的な意味での環境整備が必要だ という結論です。
(お役所の役割が大きいですね)
P.S. 1
関西弁や方言の文法って・・・
誰か研究しているんですかね・・・?
文法って、意外と標準語に限られた世界では・・?
これ、
工学的アプローチの方が 絶対おもしろいですよね・・?
(人口知能育成の面で)P.S. 2
文法も大事ですが、
機械との会話や外国語への翻訳を考えると、
(今は) 論理性や、意味の限定性に注意した言葉使い
がすごく重要な気がします。
これ、かなり慣れないとできません。
「私 はるかちゃんがごはんを食べるのを見るのが大好きで、
胸がきゅんてなります。」
エキサイト翻訳 ↓ ↓
..chest.. [kyuntenarimasu]. love eating ..my [harukachan].. rice to be seen
AI言語素養
国語?の新しい重要テーマだと思います。P.S. 3
映画 ICHIの音楽
リサ・ジェラルド という人です。
この唄 は いわゆる(タモリの)ハナモゲラ語かな
感じは出てるけど言語ではないらしい・・・
時代劇にはすごく新鮮で好きでした。 この記事は、4月19日のコメント欄にある「もやもや」(4/23)とは
別の話です。