干物ヲヤヂの日記?ブログです。大好きな綾瀬はるかさんのこと、鉄道、旅、酒、ゴルフなど。
 
2020/10/23 18:01:05|まにあなシリーズ
変化 −失われた30年に残ったもの−
woyajiが 就職した頃 
40年ちょっと前 w

若い人に 想像を絶する話をすると・・

東海道・山陽新幹線はあった けれども
東北新幹線が開業を目指して走行試験をやっていた頃で
(上野-大宮間 東京-上野間は後から開業したのですよw)
上越新幹線なし もちろん北陸新幹線なし
山形新幹線なし 秋田新幹線なし
青函トンネルなし
九州新幹線もなし


道路では
備讃瀬戸大橋なし 明石海峡・大鳴門橋なし  しまなみ海道なし
新名神なし  第二京阪なし  第二阪奈なし 京滋バイパスなし
京都縦貫道なし  舞鶴道なし 山陽道なし
伊勢湾岸道なし 東海北陸自動車道なし
海ほたるなし  圏央道なし  常磐道たぶんなし
・・

在来線・私鉄では
JR東西線なし おおさか東線なし
京都市地下鉄なし  近鉄けいはんな線なし
埼京線なし  京葉線なし  多摩モノレールなし
つくばエクスプレスなし


関空なし  中空なし
成田が開業したばかり
 くらい・・か

どーですか? 信じられない感じ  でしょう?!

woyajiは 就職で東京に出てまもなく東中野(の寮)に住みましたが
西新宿に6-7本の超高層ビルが集まる姿を 寮の屋上から 
いつもしみじみ眺めたものです (写真@) 
今では 
東京の超高層ビルはもう数えられなくなってしまいました ね

六本木ヒルズができてから もう17年
東京スカイツリーができてからでも 8年たつらしい・・

駅の改札では まだ人力で切符にハサミを入れていました
新幹線の車両も 100系 (写真 A) がまだ出ていませんw 

携帯電話は 金持ちでも持っていない時代・・ 
パソコンが 普及し始めた頃
テレビのビデオ (ビデオデッキとテープ)が出始めてて
音楽CDは まだなかった気がする w

日本経済の バブルがはじけたのが1991年頃
そこから ジリジリと経済力に陰りが出始めます

でも ↑ の 巨大プロジェクトのそれぞれは・・
日本高度成長の 余力というか 勢いというか
そういうもので 作られてきたのです
計画(プロジェクト)として かなり以前からあったもの もありますが
一方で 弱っていくというか 放置すると大変なことになる という
経済の刺激策というか下支えというか 
いわゆる 国の「財政出動」が乱発された面もあるわけです
国は 赤字国債を乱発するわけで 財政悪化は避けられない のだけれども
今の時点で考えると
これらが もし なかったら・・ と考えると 空恐ろしい気がします
(日本の経済力は もう過去の話でしかなくなりました)

政治家たちの優れた判断が功を奏した 
なんて カケラも思いませんが
結果的には 90年代以降 社会・交通インフラが 整ったことは事実です

「長期展望に基づいて」なんて とてもいえず
悪く言えば 行き当たりばったりの
「作りかけてしまえばなんとかならぁ」の無責任シリーズ or 我田引鉄 的だった気がします がね

そのプロジェクト達も 容易に順調に進んだものなど ほとんどなく
どれにしても難儀したり 
環境問題などからの反対運動で 四苦八苦(コストも大膨張)したものが多かったはずです (投資効果という面からは 満点には遠いですしね)

それでも それが問題解決の大きな経験になったといえるし
人々が なんとなく明るくポジティブになる
そういう面が 大きいと思うのです

大昔の話でいえば 
聖武天皇が 奈良の大仏&大仏殿を 国力の総動員して作った ように
当時は 衛生状態がよくないから伝染病とかも深刻だった と思うけれども 
人々をポジティブにし やる気をださせることは
(今でいう)免疫力アップ 自己肯定感 
そして 技術や社会の基盤形成 につながる効果
それこそが 結局 み仏のご利益 だったのかもしれません
 
今の日本
もう大きくて具体的なプロジェクト ないこたぁないんだろうけど 
すぐに思い浮かばない w
中央リニアくらいか・・?
でもアレ 工事の問題も完成後の経済寄与も「?」付きだしw
第一 woyajiが就職した頃から力入れてやってて まだアレだからな・・
もちろん 
今は 情報 & ソフト文化の時代
巨大建設物やハコモノの時代ではないのだろう

地道に 少しずつ 
世の中を 便利で 安全で 居心地良いものにしていく
 
そのために努力することが大切なんだろう と思う

この 失われた20年 とか 30年とか呼ばれる時代
計画性というか 長期のビジョンというものが 極めて低調
(というか真剣に扱われない)時代だった よくなかった
むしろ 錯誤や欺瞞が多かったかも   (→反省)

これからの日本は 
今までと 大きく変わってしまった環境の中で
(若者は!) やれることを伸び伸びとやっていってほしい と思う

Be Positive !


P.S.
わが畿央エリアで  期待されるプロジェクトは
やはり 中央リニアか ・・
(名古屋-大阪間はもうないかも そして 中間駅にメリットはないw)
いや 
なんといっても JR関西本線の電化だろう
いやいや 近鉄大阪線でさえ 経営がくるしいというに
関西線なんて・・・ (以下略)

三重県にも滋賀県にも奈良県にも空港はないしw
(プライベートジェット空港とか計画すればいいのにw)

新名神は大きく北(草津方面)を迂回してしまうしw
名阪国道は 高規格化されないし w (ボロボロやん!)

あーあ 取り残されちゃったなあ
なんか幸運が降って湧かないかなー w w


昔がたり とか 自分がたり とかは
全般に嫌われるから SNSでも避けた方がいいのでしょう
でも 
還暦を過ぎて つくづく思うのは
40年は あっという間だったし
昔のことを わりと新鮮に覚えてるんだよねーw


出来心で つい書いてしまった・・w

 







2020/10/09 16:22:00|小さな旅
しまなみ・しもなだ 3

【 しもなだ編 】 からの つづき

【 しまなみ編 】


伊予市の宿に泊まり 
商店街の中の 小さな「伊予温泉」にも入りました w

で 
翌朝   憧れの地 その3「しまなみ海道
に向かって Z900RS で出発

松山市街のひたすら狭い道を走り抜け(不本意w)
梅津寺駅経由 海岸線へ

この日は 海からの風がけっこう強い
(あー 来島海峡大橋 渡るのコワそうだなぁw)
北条を過ぎて波方へ
このあたりは 造船のメッカ いいねぇ(実態は知らないw)

そして 
来島海峡大橋がよく見えるという
糸山公園展望台
へ   天気最高!
吊り橋の支柱が連なって
ひたすら美しい大橋と来島海峡がきれいに望めます
[ 写真 1枚め ]

ジツは 昔(20代)  三原から竹原-大三島-伯方島→生口島→因島→尾道 というサイクリングに来ています
当時 来島海峡大橋は開通していなかったので 
ずっと渡りたかったのです
バス旅行で一度 しまなみを通っていますが  バイク・自転車の感触はまったく別ですから w

思ったより 橋上のは強くなく 
空いてもいるので  高所恐怖感を軽減してくれます♪
早く渡りたいような いつまでも走っていたいような w
[写真 2枚め ]

各島で高速から降りたいのが山々ですが
時間的な余裕はありません w
伯方大橋 大三島橋 多々羅大橋を渡り
瀬戸田PAで休息  オープンテラスで 
おしゃれな 天ぷらうどん w  
[ 写真 3枚目 ]

しまなみ海道の中では 多々羅大橋のデザインがわりと好き

生口橋を渡って 因島で高速を降ります
海岸沿いを東へ
因島公園(テレビ塔の山)へ登ります
展望台からは 青空の下 瀬戸の風景

頭の中に 
尾道の風景だ と錯誤が 。(そっくり?)
おいおい ここは因島やん 
と降りてから正誤解釈 w

島に寄った目的は 
昔のサイクリングで ヒーヒー言った 因島水軍ライン という林道(?) を 再び訪ねたい と思って

4枚めの写真は どうということのない写真にみえるかも
ですが 
woyajiには 昔の思い出と重なっているのです

昨日のしもなだで 
コンデジがバッテリー切れ表示に なってしまいました

でも 2-3枚なら撮れる状態
これを繰り返してました w w

因島北ICから 再び高速に乗り
これまた美しい因島大橋を渡ります
さらに 
尾道の街を左に見ながら 尾道大橋を渡り
これでしまなみ海道はおしまい

名残惜しむチャンスはありません w

そのまま R2 (自動車専用区間) へ
山陽道に入るつもりが 分岐を通り過ぎてしまい
まあいいか と いつものアバウト・モードに

しばらくすると まったくの(混んだ)下道になってしまい 時間ロス
とはいえ 
残りの高速走る距離を少しでも減らしたい頭が働いて
結局 鴨方まで ノロノロ

ここから 山陽道→新名神方面へと帰りました
高槻で (例によって)がポツポツ
それくらいは 許容範囲

いやー 
しまなみ・しもなだ ♪
Life Goes On Bra!! ♪
本当に よい旅でした

ではまた







2020/10/09 16:05:00|小さな旅
しまなみ・しもなだ 2

【 淡路島編 】からつづく

【 しもなだ編 】

時折 美しい瀬戸内海が見えたり
まだ緑の山々 四国の街を眺めながら
高松自動車道を ずーっと走ります
屋島の右手に 3ピークの面白い山が見える
いつか 登りに来たいなあ ♪

豊浜SAなど 何度も休みつつ 
松山自動車道 を 西へ西へ
と同時に 少しずつ日は傾いてきます

そう 今日は 何としても
憧れの地 その2
伊予灘 予讃本線下灘駅  で夕陽を見たい

西条から少し山を越えて 再び海が見えると 松山 
ここで悩みます 
宿をどうしよう w
今日は寒い 夜ラン・野宿は控えよう

松山ならあるだろうが なんとなくつまらんw
伊予市に宿あるかなぁ
いよいよ 伊予IC
美しい景色の中 カーブを廻って料金所通過
とにかく駅前に行ってみよう (昔の人間だなあw)

幸いw 「郡中駅前に観光協会があって
商店街の中の宿を紹介してもらいました

よし 「しもなだ」へ急げ
海岸沿いに約20km 
Z900RSは いつも快調 けどクルマが多い・・
日没までには間に合うだろうが 早く着きたいw

すでに 夕日に包まれた海が美しい
「かみなだ」を過ぎて・・行けばわかるはず
お 入口看板あった! 
[ 写真 1枚め ]  [ 写真 2枚め ]

おー クルマがそこそこ停まってるし
バイクを置くとこも幸いあった

4-50人?くらいの人混みもあって 
みんな カメラで撮りまくり
撮られ番 は譲り合いでw

あー いいなあ
間に合ってよかったなあ
長い時間 いたかったなぁ (ちょっとムリだわな)

列車も来て 
10人くらいが乗っていきました [ 写真 3枚め ]
そして 
18時ちょうどくらい  津より30分遅い日没の時間 [ 写真 4枚め ]  

あー 感動ですねー
写真も いっぱい撮ってるけど・・ いや 
この瞬間 ここにいる ということ自体 
感動 なんだろうねぇ

ただの 海の見える田舎の駅 
なんだけど  それがいい 
というか ナニかが違うというか・・

日没後の余韻 もしばらく味わってから
下の道路に戻ってみる
少し南から 伊予市街へ向かう(戻る) 
道路から見えるホームの上屋が 名残惜しい

あー 
来てよかったなあ
(四国の途中に寄れなかったけど) 文句なし

【 しまなみ編 】 につづく

 







2020/10/09 15:50:00|小さな旅
しまなみ・しもなだ 1

憧れの地へ 
Z900RS で出かけてきた話 です
なんか 「オブラディ・オブラダ」みたい
なタイトル で内心うれしがっております

まずは 往路の 【 淡路島編 】? から
(旅の発意は P.S.で)

憧れの第一 明石海峡大橋
woyajiは 橋マニアではありませんが
バイクの写真を撮ろうとすると 美しい橋は とても絵になる ので w
三木JCあたりで雲は切れ 
舞子まで来ると 天気は最高
走行ビデオも録画しながら走ってますが
 [写真 1枚め ]

同時に 
高所恐怖症のwoyajiは 
この橋が どれくらい怖くてビビるか も 愉しみ(?!)
半端なく高いですからね
よそ見しててコケたりしたら大変ですよ(妄想w)

大橋は勾配が小さく 風も強くなくて まあまあのコワさでしたw
(伊勢湾岸道の名港大橋・トリトンの方が怖い)

とても大きく 美しい橋です
明石海峡大橋は 何度かわたっていますが
やはり バイクで走るのは 格別(中の格別)

よい経験でした
淡路SAで すぐに高速降りて 島の北端へ
撮影スポットを探して 撮りまくりますw
[ 写真 2枚め ]  [ 写真 3枚め ]

バイクの写真 撮りまくってナニが面白いのか
わからない方も多いことでしょう w w

そして 淡路島の西海岸へ
まだ 昼前ですが 「サンセットライン」というすてきな名前がついています
対岸 明石側や 島 青い海 [ 写真 4枚め ]
穏やかな波を眺めながら 南へ走ります

ゆっくりしたいけれども 先は流い からね
西淡ICから高速に戻り  
今度は 大鳴門橋
下の海で を巻いてるのがよく見えます
この橋も素晴らしい w

鳴門市の手前の橋 では もう 高く思えないので w
コワくない
ここから しばらく(四国の西まで)
のんびり高速を走ります
どこか降りたくなるところがあったら寄ろう
(寄れるかな?) と思いながら・・

【 → しもなだ編 】 に つづく



P.S.
この旅は 
woyajiが 還暦を過ぎてからバイク乗りに復帰して
2年間 Z900RSで あちこち走り回り
本当に予想以上に楽しめました

しかし  いつまでも 無転倒 無事故という幸運が続くと 楽観もできないので  程々の内に(?) 卒業しようと考えています

この際
近場(250km圏)では 満足できないw 
ので(日程の都合のつく範囲で) 遠くに出かけたいと思っていました

パッと思いつくのが 
伊予灘 → しまなみ海道
前から 行けるチャンスをうかがっていました w

伊予灘 ・・遠いですw
3-4日の旅なら あちこち楽しみながら走れるんですが
走行距離 994km → 1泊2日 36時間リミットだと
かなり高速を走らねばなりません でした 
(高速は けっこう苦痛なのですw)
地元に近づく頃 雨に逢いましたが 
旅先の天気に恵まれ  
夕焼けの伊予灘  快晴の来島大橋〜しまなみ

心に残る 良い旅でした

 







2020/10/05 17:58:01|江州のセロ弾き
蝉丸神社

こんにちわ
先日 晴れそうな日に(晴れなかったw)
Go To キャンペーンも盛んになっている
ので(ヲイヲイ)
woyajiも Zで 京都方面へ 出かけました

目的地は 蝉丸神社

「蝉丸神社の由緒  
当社は 天慶九年(945年)蝉丸を主神  
として祠られております  蝉丸は盲目の
琵琶法師とよばれ  音曲芸道の祖神として
平安末期 の芸能に携わる人々に崇敬され
 
当宮の免許により興行したものです  
その後 万治三年(1660年)現在の  
社が建立され 街道の守護神  
猿田彦命と豊玉姫命を合祀して  
お祠りしてあります  

これやこの ゆくもかへるも  
わかれては   
しるもしらぬも あふさか乃せき  蝉丸

  社前の石碑 より

そう 百人一首(坊主めくり)の
特徴ある絵と名前の あの人 w
(「亀有公園前派出所」にも出てきました ね)

この方が 神様になるくらいの
琵琶弾き だった らしい

woyajiは 蝉丸神社を 戸部新十郎氏の小説
「服部半蔵」で 知りました

秦ノ河勝(渡来人: 鉄・機織・諸芸)→太秦→祇園→蝉丸 
秦→hatta→服部 (忍者)
面白い 連関というかラインというか・・
多少の  はあるわけです

ジツは
チェロを(いきなり)始めて まもなく3年
少しは慣れてきました
しかし ながら・・
なんか この一年くらい 少しも 上達している気がしないのです
もちろん 
元々 音楽的な勘が働かず  楽器演奏など縁がないもの 
と 長年 思っていたwoyaji
巧く弾けるようになる とも思っていません
とわいえ  いえ
こうも早く 上達がサチる とも思わなかった なと w

とくに 弓遣い  バイオリン類は 
ダウン(引く) アップ(押す)を 楽譜で指定された方に弾くこと(ボウイング) が求められるのですが 
これが どーにも巧くできない

左手の指運びだけでも精一杯のところ
頭で考えて弓遣いしているようではダメなのです
勘が悪いというか 流れに乗れないというか
わが小脳の運動制御能力が完全に不足する のです  (泣)

他の人は できるようになっていくのだろうか ・・・
いや うんと練習してるわけではないから やむを得ないのだけれど

はずかしながら・・
上達しないと・・音楽教室のレッスン代がもったいない ように思えてくるのです w

まあ 半分 笑い話ですが
半分は 深刻な悩み でもあるのです
で 
諸芸・音楽の神様 的な存在には
どこでも誰でも あやかりたい 気持ちなわけです w
(でも上の一首は なんか冷たい印象が・・w)
蝉丸神社は無人でしたが 上達をなんとか! と祈願してきました

一応 練習は続けているし まだ上達意欲もあるので
自分なりに 許容しているのですが
ぼちぼち ボウイングというものに慣れ たいw

なんといっても 還暦からの手習い だから なあ
あー チェロ弾きの道は遠い なあ


P.S.
Z900RSでの 小旅は
信楽から R422で北に向かい  関津トンネルを初めて通過
石山-膳所間で 東海道線の貨物列車を眺めた後
R1を西に下り 蝉丸神社
で 
山科から五条へ
そして意味なく 京都市街を走り回り w
店などは どっこにも寄らず
木津方面へ帰ってきました
ヒトとの接触 → ゼロ  w


 







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