連休中に みかけたシーンでふと思ったこと
近所で子供たちが遊んでいたのだけど その子たちはヘルメットをかぶって板。
おそらく、自転車に乗ったりするからかな と思うが、通学途中でなくても かぶってるんだよねー
都会の子ならいざしらず ここは 忍者の里 なのだぞ。
そんなことでよいのか・・・と。
子供が自主的にかぶることは考えられないから 先生なり親御さんなりが かぶれっていってるのだろうけど
今頃からヘルメットなんかかぶってると ○○になるぞ
そもそも ワタシはヘルメットがきらいだ
そもそも ヘルメットをかぶるのは 危険が予想される作業環境で 致命的なケガを防ぐ目的のはずだ
そもそも ヘルメットをかぶる方がよい という考え方の中には 人間の感覚器は 目、耳、鼻、口 であって、それさえ露出していればよい という漠然としたアホな前提がありはしないか
そのことには かなり納得しがたい。
人間の肌は、触覚その他の微妙な気配を感じる重要器官であって とくに 上半身は人や障害物や空気の動きに敏感なはずた。
肩や背中で、人の気配を感じたことなど、誰にでもあるはずだ。 まして、忍者は、視界だけで危険を判断しているようでは 話にならない・・
頭皮をヘルメットで覆い隠せば、頭の周辺の障害物を察知することができなくなり、 天気がどう変わるかも、とんとわからなくなるかもしれない
三つ目がとおる みたいに、昔から「心眼」は眉間にあると信じられていた。 ブッダの白毫(びゃくごう:字が出ないのでこれでいいかどかわからん)から 発された光は東方一万八千世界を照らし出した という話も 脳のこの部位の使い方によって尋常ならぬ活性化が起こりうる ことを意味するかもしれないのである (たしか、昔、中山正和さんの本「洞察力」でよんだような・・。)
そして、耳による音像?形成 というか 音源方向の察知能力に支障がでる。 耳は、ダテにあんなかっこしていないのである。 頭のケーは ダテにふさふさしてるわけではないのである。 高等生物として(情報処理能力が高まるために)生存に有利だからこそ こういう形態になっているはずだ。
耳は、未だに科学では分析しかねるくらいの 音の弁別?能力をもち、 鍛えれば、信じられないほどの力を発揮する。
その音も、耳の穴からだけ入っていると思ったら 大間違いよ! 皮膚や頭蓋骨?を経由して入る音も拾っているに違いないのである。
ようするに、人間の感覚器は、テレビの信号入力みたいに それぞれ単独に情報が脳で処理されているのではなく、 全て? 総合的に判断しているのだ。 (そして、それが、骨格的+生理的にバランスのとれた全身をつくるのだろう)
料理の味が 目隠しするとわからなくなる なんて話もあるじゃないか。 わからないものには価値がない という判断は危険なのだ。
神秘主義はいけないが(大好きだけど)、わずかの違いに敏感な人と そんなものわかるわけない と思っている人の違いは大きい のよ
戦争で 敵前に飛び込むんならともかく 洞窟で「黒部の太陽」ごっこするんなら ともかく
街ん中で 子供がヘルメットかぶってどうするんじゃい 感覚器、全身能を育てなきゃならんときに、感覚を排除してどうするんじゃい
プリプリ
とワタシは思うのです。
そう、 はるかちゃんを見たまえ。 あの子は、ケガなんか恐れずに自転車で川に突っ込んだから あんなにきれいになったのだ・・
・・・ ま いっか
P.S.
Wenさんのブログにあった動画、 マーティー・フリードマンとポール・ギルバートのギター対決みてたら、 人間の音楽(音)の記憶能力ってスゴすぎる〜 って思いました。 でも、好きだと あんな感じだよねー |