当伊賀市は、平成の大合併により、旧上野市(いわゆる伊賀上野)とその周辺の郡部、阿山郡(阿山町、伊賀町、大山田村、島ヶ原村)、名賀郡青山町の6市町村が合併しました。
知名度としては、やはり「伊賀流忍者の里」でしょう。「忍者屋敷」と藤堂高虎が築城した、石垣が日本一高い「上野城」が有名ですね。ちなみに、当市の北隣りは、「甲賀流忍者の里」滋賀県甲賀市です。両市は、忍者の里として、観光の連携を図っています。お近くにお越しの際は、ぜひ両市にお立ち寄りください。
ここで、当市の合併時の住所表示について紹介します。ほとんどの合併した新市は、郡を市に変え、町名をそのまま表示していますが、当伊賀市は、旧市と郡部の合併ですので、合併協議会で議論を重ね、結局、旧町名を外し、市の後にいきなり「字名」を持ってくる表示に落ち着きました。すなわち「伊賀市阿山町西湯舟」ではなく、「伊賀市西湯舟○○番地」となります(住所を書くとき短くなるので助かります(笑))。旧町名がなくなるのはさみしい気もしますが、早く市の一体感が醸成できるので、私は大いに賛同しております。
当「湯舟の里」は、西湯舟、東湯舟、湯舟の3字を総称して、私が勝手に名付けさせていただきました。いわゆる「中山間」の農村地帯で、山あいの狭小な田園地帯です。同じ農業でも平地に比べ、農作業、農地の管理には多大の労力を必要とする地域で、当然生産効率も非常に悪い条件です。それでも、この地域の農家の皆さんは、非常に熱心に営農を続けておられ、農村環境も維持されています。
続きは、また次回---
写真は庭に咲く花と、もうじき出産予定の「チョロ」ちゃんです。 |