なべ重 つれづれ草

つれづれなるままに、日暮らしコンピュターにむかいて、心に移りゆくよしなし事を、  勝手気ままに、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
 
2013/03/13 10:30:22|スリランカの旅
間近にせまった9回目のスリランカの旅 3
今、スリランカ大統領が来日しており安倍総理に書

簡を渡すそうです。又2013年3月18日スリラン

カ南部に2番目の国際空港「マッタタラ・ラージャパ

クシヤ空港」がオープンします。私の親しいアリヤワ

ンサ僧侶が空港オープンに招待されているそうです

私はスリランカに訪問した日と重なるので一緒に行

きませんかと誘われました、大統領に近くでお会い

するのはとても光栄です。

日本では信じられない事に空港の名前が大統領の

名前が付けられています。







2013/03/06 10:51:46|スリランカの旅
間近にせまった9回目のスリランカの旅 2
何時もスリランカ訪問する時に、お土産は誰に何を

プレゼントするか選ぶのが楽しいです。幼稚園園長、

保母さん、親しい友人、子供たちと夢が膨らみます、

一番喜ばれるのは和服を着た女性姿のカレンダー。

二番目によく停電するので電池の要らない充電式の

懐中電灯、ソーラーや手回し式が喜ばれます。

少し高額ですが充電式の電球ゃ蛍光灯が使われて

います、停電するとボタンを押せば14Wの明かりが

点灯してとても明るいです、残念ながら中国製です。

テレビや家電製品も韓国製が多いです。日本の家

電メーカーも高い技術ばかりでは無くその国に合っ

た製品を開発して販売促進して欲しいものです。

例えばクーラーですが空気が何時も乾燥しているの

で暖房、除湿は要らないです。代わりに騒音のしな

いクーラーとか。

スリランカではスーパーマーケットが増えつつありま

すが、まだまだ個人経営の商店が多いです、バナナ

を量るのも昔のままの計量方法です。










2013/02/27 1:41:46|スリランカの旅
間近にせまった9回目のスリランカの旅
3月16日〜25日迄9回目のスリランカ訪問します

よく人から何故スリランカばかり行くのかと尋ねられ

す、一言で言いますと仏教精神が生かされているか

らだと答えます。

スリランカでは日常生活の中に仏教精神が生かされ

子供たちの目は輝いて、何事も仏教によつて祭り事

が執り行われ僧侶は偉大な人と言われています。

何もない日本の戦後、国を愛しお父さん、お母さん

を大切に「もったいない」と教えられてきました、現

在のスリランカではその事が体験できます。

日本では物質的に豊かでも、精神的な豊かさがか

けています。前新聞で世界で一番の幸福度の国は

プータン国と書かれていました、やはり仏教を信じる

国は素晴らしいです。

又、スリランカは大自然に恵まれ果物が豊富で年中

30度の温度で湿度は無く、北海道ぐらいの国土に

世界遺産や自然動物園が沢山あります、皆さんもス

リランカ訪問をおすすめします。







2013/02/18 11:34:00|なべ重 つれづれ草
菅青会創設50周年記念式典
菅原神社氏子青年会(菅青会)創立50周年記念式

典に参加、正式参拝は神社拝殿でサンピア伊賀で

記念式典がとりおこなわれました。

光陰矢の如しと言われるように私が20才の時、入

会し色々な世代の人と交流して半世紀の年月が過

ぎてしまいました。

私の青春時代は菅青会の色々な行事に参加してき

たと言っても過言ではありません。

当時ひとりでも多くの人が鎮守の森に集い、神の恵

みと祖先の恩に対する感謝を心に抱いて、書道教

室、その後詩吟教室、囲碁、茶道教室など設立しま

した。

又、神社関係の式典に積極的に参加、毎年の観月

会、みそぎ、全国神社大会にも参加、お伊勢さんの

式典遷宮にも2回参加しました。想えば楽しい思い

が夢のごとく脳裏を駆け巡ります。










2013/02/10 2:12:38|芭蕉の句
2月 芭蕉の句
句碑の書は元上野市長、豊岡益人氏が書かれた。

又、「うにの香も年ふる山の冬の梅」川口竹人の俳

句も並んで刻まれていた。

この句は蓑虫庵で詠まれ服部土芳の書に「伊陽山

家にうにという物有り。土のそこよりほり出て薪とす

石にもあらず木にもあらず黒色にしてあしき香りあ

り・・・・此一紙我草庵に残る」と書かれていた。

 又、川口竹人の「芭蕉翁全伝」にも蓑虫庵にての

吟として書き残されている。

伊賀地方は古代琵琶湖層群と呼ばれていて「うに」

の豊富な埋蔵地帯。戦後物資の少ない時代には地

元の人たちは「うに=泥炭」を薪の代わりに使用して

いたと聞いている。

  
   川口竹人=藤堂藩の藩士で、五代目城代家老の

藤堂采女元甫(うねめ・げんぽ)につかえ、元甫と無

名庵を再建して「芭蕉翁全伝」を書き残している。

芭蕉が死んだ70年後1764年に亡くなっている。