なべ重 つれづれ草

つれづれなるままに、日暮らしコンピュターにむかいて、心に移りゆくよしなし事を、  勝手気ままに、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
 
2009/07/17 23:59:15|スリランカの旅
スリランカの客人
 
   スリランカ チャンドラ博士の自宅でダーナ
 
  スリランカの愛と義「ジャヤワルデネ演説」
 
日本が経済的に高度成長した影に、スリラン
 
カ当事の財務大臣「ジャヤワルデネ氏」後の
 
大統領の発言はあつた。
 
1941年4月戦時中 首都コロンボやトリンコ
 
マリーの石油設備(イギリスの軍事基地)
 
害を受けたが、しかし戦後1951年9月日本
 
に独立をもたらした、サンフランシスコ講和会
 
議の席上で「憎しみは憎しみによってではな
 
く、慈愛によって終わる」 と言うブッタの
 
「ダンマパダ」を引用して、日本に対しる損害
 
賠償請求権を放棄する事を表明した。
 
また連合軍の一部が提案していた、日本の国
 
を分割統治にも反対した。講和条約締結後に
 
世界で最も早く正式に日本と外交関係を結ん
 
だのもスリランカだった。
 
大統領の胸像がいくつか、日本に建てられて
 
いるが、代表的な物は鎌倉 大仏様の高徳
 
院に存在する。
 
現在も皇室、元明石国連大使、総理大臣、政
 
府要人は訪問している。







2009/07/12 1:16:46|スリランカの旅
スリランカの客人
 
    2008年3月 5回目のスリランカ 
 
   アリヤワンサ僧侶、チャンドラ博士 
 
                稲垣ステージ前で
 
 
   ☆アリヤワンサ僧侶 略歴☆ 
 
:名前      ワドレッセ アリヤワンサ
 
:国籍      スリランカ 
 
1955年3月 クルネーガラ県ワーリヤポラ
 
                     生,現在54歳
      
:         キリメテイャーナ マハ ヴィ
 
                     ハーラ寺院で僧侶になる。
 
:1980−84  スリジャヤワルダナプラ国
 
                    大学に入学(文学部、パーリ
 
                    学、仏教学専攻)
 
:1979−88  兼務 キリメテイャーナ中学
 
         教師(英語、社会、仏教担当)
 
         農業生活改善指導員
 
:1989    来日、龍谷大学留学生別科に
 
         入学
 
:1990    龍谷大学大学院に入学
 
 :1995    「歎異抄」パーリ語、シンハラ
 
         語翻訳出版
 
 :1996    帰国、ニカウェラテイャ、マー
 
         ガルレーガマムラでメッタ幼稚
 
         園建築
 
:1996    「親鸞聖人の伝記」シンハラ語
 
         翻訳出版 「日本仏教史概論
 
         の研究」シンハラ語翻訳 
 
:1998   メッタ幼稚園開園式 園児54名
 
:1999   スリ ジャヤワルダナプラ国立大
 
        学講師(日本仏教)
 
:2008   メッタ幼稚園 創立10周年記念
 
        行事開催 念願の幼稚園運動
 
        場建設と仏教センター、新園児
 
        教室新設園児204名 保母主
 
        任1名 保母10名
 
 
:現在    メッター仏教センター長
 
        メッター幼稚園園
 
         メッター社会福祉活動会会長
 
        京都府名誉友好大使
          
 
  
    







2009/07/10 0:35:08|スリランカの旅
スリランカの客人
 
   チャンドラ博士とアリヤワンサ僧侶、
 
   東大寺で屋根瓦の寄贈記念写真
 
   ☆チャンドラ博士の略歴☆
 
御名前  チャンドラ ウイッカラマガマゲー
 
現職    スリランカBuddhist and Pali国立
 
              大学名誉教授 元学長代理
 
1936     1月14日スリランカ南に生まれ
 
              現在72歳
 
1961−64  Vidyalankara国立大学卒業
 
                   (文学部)
 
1964−69 Kalyanipradipa国立大学教
 
                  授
 
1971−75 イギリスLANCASTER大学
 
                  Ph.D.をとる。
 
1980    Sri Jayawardhanapura国立大
 
                学教授、言語学、文化研究部長
 
                就任
 
1981−87 考古学デイレクター ユネスコ
       
                スリランカ文化遺産
 
1983−89 Sri Jayawardhanapura  
 
                  国立大学 仏教学部学部長
 
1994−97 Sri Jayawardhanapura国
 
                 立大学 文学部学部長
 
2000    考古学会会長
 
1961−    仏教、文化、社会面での様々な
 
                書物45冊以上執筆 表彰受賞
 
1988       社会化学研究表彰
 
1992   政府文学表彰 Stupaについて
 
2006   考古学省表彰 仏教文化センタ
  
       表彰
 
2006   全スリランカ仏教会表彰
 
2006   Swarnawhini TV賞受賞







2009/07/06 22:32:06|スリランカの旅
スリランカの客人
 
  メッタ幼稚園設立10周年を記念して東京へ、
 
アリヤワンサ園長、中井ひろし代議士、私と
 
スリランカ大使館ジャヤンタ パリーパナ大使
 
に面会、私たちのグループはNPO法人「メッタ
 
の会」として今年から活動、又幼児教育の充実
 
と環境問題の普及に、特に力を入れていると大
 
使に報告しました。
 
大使は言われるには、スリランカ国も内戦も終
 
わり、日本の皆さんスリランカに来て世界遺産
 
が沢山残っているすばらしい自然を味わってく
 
ださいと言っていた。







2009/07/03 21:54:27|芭蕉の句
おくのほそ道 芭蕉7月
 
 「おくのほそ道」 松尾芭蕉 
 
 
最上川:福島県境の吾妻山に源を発し、山形県
 
内を北流し、さらに西流して酒田市で日本海に
 
はいる、日本三急流の一つ。
 
船問屋を営む高野一栄宅は、最上川のほとり
 
に構えていたので、川面を渡る涼風がいい具
 
合に句会の席に入り込み内陸特有の蒸し風呂
 
状態を和らげてくれた。
 
芭蕉は旅の疲れを慰労される有難みを「すす
 
し」の言葉で表現して句を詠む、しかし元禄5,
 
年の「おくのほそ道」執筆時に「早し」に改作し
 
ている。