関西本線の名古屋から湊町間が、全線非電化だった半世紀ほど前。鉄道100年に始まり、湊町奈良間電化を控えて、空前のSLブームが巻き起こった。平成の時代も終わり、懐かしさを通りすぎ伝説の世界に入った、あの時代にタイムスリップする懐古鉄なブログです。
 
2026/03/22 16:24:00|電車列車
続2・つくば科学万博の記憶

3日目。日没後、会場から宿へタクシーで向かった。「何となく遠回り」と、つぶやきつつ着くと、ドライバーさん言わく「地元民じゃないので、道を間違えたみたい、メーターは見なくてOK」とのことで、半額程度に割り引いてくれた。途中、小瓶入りブルーハワイとかを買って宿に持ち込んだ。

左) つくば市公式サイト>つくば市の写真から、筑波万博2 提供:つくば市

水海道駅前行きのシャトルバスは、夜は待ち時間が長過ぎた為、タクシーに乗ったのだとすると。駅前なら酒店やコンビニは有ったはず。同じ宿に泊まるのは良くある話で、宿の前が商店街風だった様な覚えもある。これで断片的な記憶がつながった様な気がしてきたが、決め手が無く何とも言えず。

実は記憶に残っているパビリオンは、ジャンボトロンぐらい。昭和万博の太陽の塔の様な存在で、ズームインJTに映った際には、写真を撮ったはず。

中) つくば科学万博開幕の82日前。左上がジャンボトロン、上部を左右方向に走るのがHSST試乗線、右上がアメリカ館、カラフルな屋根は東芝館。
国土地理院の空中写真 CKT844-C8B-4 1984(昭59)/12/24 土浦を加工

右) Webで、当時の写真を探すと、田原総一郎さん著の如何にも過激な書籍名の「ソニーが叩き潰されない理由」が合わせて出てきた。たしか本棚に残っていたな、と再び手に取って読み返すと、ジャンボトロン開発秘話をまとめた内容だった。VTRやCRTが姿を消した現在、伝説の「BetaかVHSか」のビデオフォーマット紛争関連では、と長年思っていたのだが。

会場内の何処かで、何かを食べながら、「映像系ばっかし、前は太陽の塔の中に入ったし、テーマ館には入ろう」と言ったのを思い出した。ということは、2日目から4日目にかけて3日間通い、テーマ館以外に、家電系やPCと通信系のパビリオンに入った筈だが、全く覚えておらず。

当時趣味の世界では、IC-02N(1983年)、FT-203(1983年)、TH-21(1984年)、といったハンディ機が飛ぶように売れていた。自動車電話は1979年末からサービスが始まり、ショルダーホンは1985年9月の実用化の半年前。会場内では、警備スタッフが業務用の無線機等で連絡を取っていたはず。

ニャロメの非公式ガイドブックを探しても、2年後の携帯電話の登場や、近年のスマホの普及を予見したパビリオンが、何故か全く見当たらず。スマートフォンの日本初は、台湾HTC社製のHT-03A(2009年)とされるが、世界初は、三菱電気社製IBMのSimon(1994年)らしく、そんな事を言い出すと、日本初のタッチパネルケータイPioneer社製のDP-211(1996年) は?。

鉄道関係では、HSST-03に乗ったかも知れないが、覚えておらず。リニアのその後は、5年後に地下鉄鶴見緑地線で実用化され、国際花と緑の博覧会の会場へのアクセス手段になったのは、関西人には知られた所であろう。

いよいよ最終回、帰りの乗り鉄の記憶へ。

つづく。

 





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