関西本線の名古屋から湊町間が、全線非電化だった半世紀ほど前。鉄道100年に始まり、湊町奈良間電化を控えて、空前のSLブームが巻き起こった。平成の時代も終わり、懐かしさを通りすぎ伝説の世界に入った、あの時代にタイムスリップする懐古鉄なブログです。
 
2025/12/03 18:20:00|気動車列車
はなあかり最終日
2025(令和7)年12月3日(水)大安

上野特別地域気象観測所、正午の気象データは、気温10.8度。降水量0.0mm。西北西の風。風速5.2m/s。日照時間1分。

低気圧が南岸を通過した為か、県北部では雪の予報も出ているが、過去25年間の統計どおり、またしても絶好のコンディションとなった。

何処で撮ろうかと悩んだものの、想い出の第一東出踏切に向かった。SL時代に見た上野盆地の景色は変わっておらず、南側は標識や機器箱類が出来ていた。撮影ポイントは、曇り気味でバリ順は望めそうに無く、少し伊賀上野駅寄りの北側に決めた。近くに空き地を見つけて、歩いて10分ほど前に着いたのだが、気がつくと警報機が鳴っていた。

中) 正面から日の丸シチサンで。もちろん独占状態だったが、踏切待ちの急便会社のワゴン車が被ってしまったのは、想定外。

左) 後追いをシチサンカツカツ気味で。伊賀上野駅への15.2‰を下るはなあかり。流石のAIならではで、テールマークにピントが合ったようだ。

右 左上) 伊賀線も半世紀ぶりに撮った。みどり忍者には、本当に期末考査中の生徒さんが乗っているのか確認できず、駅に見に行くことに。
右 右上) 途中で、伝説のホームポジションから駅構内を撮った。
右 左下) 239D加茂行の発車を待つ、ジャケットでリュックの生徒さんら。
右 右下) 234D亀山行の到着を待つ、ジャケットやセーラーの生徒さんら。

往路は、汽車通の生徒さんへの、サプライズ(英:surprise、和訳:あっと驚く出来事)は「真っ昼間に大賑わいでごった返す伊賀上野駅」に、なったようで。良い思い出作りに一役買ったのではと思われる。

DCで通勤通学することを、汽車通(きしゃつう)と呼ぶのは、昭和の時代に親父から聞いた。現在も通用する言い方なのかは、全く不明。

復路は、駅前の農協のお店で、17時の閉店間際に花束を買って、運転士さんに渡そうかと目論んでいたのだが、師走で寒くなって黄昏が更に早まり、秘密の場所から撮っただけであった。


はなあかり運行完了後に更新された以下リンクを、12月7日に追加。
関西本線活性化利用促進三重県会議 _ 伊賀市

 




     コメント一覧
[ 1 - 20 件 / 2 件中 ]

Re2;はなあかり最終日
コメントありがとうございます。
当方の汽車通学のサプライズとしては、キロ28グリーン開放というのがありました。キハ189系改は全車グリーンで、伊賀上野〜関の間は乗客が少なくなりますから、そういうサプライズがあってもと考えたのですが。沿線の生徒さんは、代々鉄ファンの方もいるでしょうから運転室に入室も、同様に国鉄時代じゃあるまいし実現不可。せめてホームから運転室を覗き込ませてもうらう、サプライズがあったかもですね。

moni5187  (2025/12/04 18:29:23) [コメント削除]

Re;はなあかり最終日
3回目もおそらく無事に終わりましたね。動物の接触もなかったかなと。見慣れぬ珍客に鉄道に興味薄の生徒さんらも興奮したのではないでしょうか。やるやん関西本線!ってね。
季節臨でも何でも再来することを切に期待します。

伊賀鉄道部管理人  (2025/12/03 22:05:24) [コメント削除]

[ 1 - 20 件 / 2 件中 ]

     コメントする
タイトル*
コメント*
名前*
MailAddress:
URL:
削除キー:
コメントを削除する時に必要になります
※「*」は必須入力です。