関西本線の名古屋から湊町間が、全線非電化だった半世紀ほど前。鉄道100年に始まり、湊町奈良間電化を控えて、空前のSLブームが巻き起こった。平成の時代も終わり、懐かしさを通りすぎ伝説の世界に入った、あの時代にタイムスリップする懐古鉄なブログです。
 
2025/08/14 11:34:00|保存機
ハドソンの名機
スワローエンゼルとも呼ばれるC622が、小樽築港区から梅小路区に移籍したのは、ジャネット・リンが尻もちをついて、日の丸飛行隊が金銀銅を独占した、札幌冬季オリンピックの年の1972/9とされる。当時、青函トンネルは本工事が始まったばかりで、青函連絡船で航送されたらしい。

関西本線が無煙化された数年後、札幌にCQハドソンという伝説のアマ無線ショップができたのを知った。おそらく、店主らがC62ファンで過去に撮影していて、2-C-2の車軸配置がハドソンと呼ばれるのに、肖ったと思われるのは、直ぐに察しが付いた。後に、伝説のハドソンソフトに成長したのは、SL>BCL>HAM+PCへと趣味が変遷した方々には有名な話。

何故に、CQハドソンを知っていたのだろうか。つい最近、気になり調べると、ラジオの製作1977/3と4月号に手書き広告を出していたらしく、それらを見たからではと思われる。当時、毎月購入していたラ製の該当号が本棚に残っていて、全ページを隈なく探したら確かに広告があった。

右) 左 ラ製1977年3月号表紙。下 同年4月号CQハドソンのラ製最終広告。右 北海道放送(HBC)からラジオ・オーストラリアに赴き、大人気DJだった西里扶甬子 著(1977/4発行)青春を電波にのせて。以上のラ製とほぼ同時期の購入。リンク動画の1分6秒からが、西里さんのアナウンス?。
左 中) 1975/10/1 梅小路蒸気機関車館のC622と赤ナンC612。ハドソンの名機C62とC61を撮ったのは、これら2枚の写真のみ。

サッポロといえば、同ビール、同ポテト、同一番、などが、今なおロングセラーが続いている。その昔、サッポロシティ・スタンダードという記録フォーマットが有ったのを思い出した。当時、マイコンのプログラム(PCソフト、今で言うアプリ)は、雑誌(I/O等)に印刷されたアルファベットと数字を見ながら、暇にまかせて一文字づつキーボードで手入力。保存はコンパクトカセットに音信号として録音(セーブ)して、実行する際はカセットを再生(ロード)していた。後に雑誌の付録でCD-ROMは覚えているが、音信号として、ソノシートに(ゲーム?)アプリが入った付録もあったようだ。

サッポロシティ・スタンダードとは、(米国ミズーリ州の)カンサスシティ・スタンダード他の、カセットテープにPCデータを保存する方式の一つとされる。黎明期のハドソンソフトとは無関係ではないと思われるが、何故にその名称を知っていたのかは、全く思い出せず謎のままである。

 




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Re2:ハドソンの名機
コメントありがとうございます。
行った事がない北海道について、思い付く事を記事にしてしまいました。
新築なった小学校の図書室に、古びた(戦前の?)蒸気機関車本があって、満鉄「あじあ号」のパシナが載っていたような記憶があります。SL撮影を始めた頃に、駅前の書店で買った保育社のカラーブックス広田尚敬著「蒸気機関車」(昭和43年初版の昭和47年発行分)を、読み耽(ふけ)っていました。今も本棚にあります。
しかし、あの札幌冬季五輪の動画(厳密に言えば著作権的に?)は、虹と雪のバラードの「オリンピックと〜」の歌詞に合わせて、1番が米国のジャネット・リンが中盤のスピン。2番は日本の笠谷が、両手を大きく広げて左膝をついてテレマークを決めて着地。と感動の編集になっていて、戦後80年で猛暑日が続くにも関わらず、何度も見直してしまいます。

moni5187  (2025/08/22 20:23:23) [コメント削除]

Re:ハドソンの名機
日本最大、最速の蒸気機関車といえばシロクニ。子供の頃、学研の発明発見シリーズと言う児童向けの本で、機関車のひみつと言う本を穴が空くほど読みましたが、その中に折り込みの写真が急行ニセコを牽くスワローエンゼルのサイドビューでした。それ以来好きな機関車はシロクニ。絵を描くときもシロクニでした。今もカマに火が入った同機が比較的近い京都で会えるのは幸せなことだとしみじみ思います。
伊賀鉄道部管理人  (2025/08/22 15:02:40) [コメント削除]

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