関西本線の名古屋から湊町間が、全線非電化だった半世紀ほど前。鉄道100年に始まり、湊町奈良間電化を控えて、空前のSLブームが巻き起こった。平成の時代も終わり、懐かしさを通りすぎ伝説の世界に入った、あの時代にタイムスリップする懐古鉄なブログです。
 
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2024/07/23 20:24:00|その他
竣工四年後の高山ダム

1973(昭和48)年10月10日(水) 体育の日

当日の上野測候所、9時の気象データは、気圧1025.2hPa。気温11.7度。湿度93%。北北東の風。風速0.7m/s。雲量0。

半世紀前のこの日、家族で関西本線と徒歩で高山ダムに行った。

伊賀上野駅、9時前頃発の奈良行に乗り、月ケ瀬口駅から高山ダム経由で大河原駅へハイキング。今となっては考えられない、9キロ近い健脚コース。昼食用に弁当を持って行き、五時間近く掛けて歩いて、大河原駅14時頃発の亀山行で帰ったようだ。若かりし頃だし、家に着いて疲れを感じた事は無かった。と思う。

上) 水資源開発公団によるダム東側の高山ダム銘板。まだまだピカピカに輝いていて、背後のコンクリートも真新しい。

中上) 北側から撮ったダム全景。当時は木々の背も低く、崖に吹き付けられたコンクリが竣工四年後の高山ダムを物語っている。

中下) ダム堤体天端道路から北側の夢絃峡方向を望む。左岸に写っているのは、旧道を活用した発電設備へのアクセス道路のようだ。

下) 弓が淵の大河原発電所の大河原取水堰。1919(大正8)年竣工で、54年後の様子。当時は、現在の高山ダムに近い堰年齢。ここから大河原駅まで、大河原大橋経由だったか、恋路橋経由だったかは、謎のままである。

 






2024/05/23 19:10:25|その他
紙ぶくろ伝説

押入れ、という名のタイムカプセルを整理していたら、と良くある話ではあるが、上野市(うえのまち)華やかしき頃の紙袋が、いっぱい出てきた。今となっては、紙袋そのものが伝説になった感もあり。伝説のお店の袋は、ダブル伝説になるのだろうか。何故にコレクションしていたのかは、全く記憶に無い。

上) 書店、文具関係。
伊賀上野駅前の書店の袋が最も多く出てきた。当時は、鉛筆一本買っても細長い紙袋に入れてくれたのを思い出した。小さい袋は、消しゴムやシャーペンの芯だったのだろう。市内局番が一桁の袋もあった。

中上) 趣味関係ほか。
電気店で伝説のベータテープやキングパワーの乾電池を買ったり、レコード店でビートルズのEPレコードを買った時の袋だと思われる。茅町のホームセンターの袋には、店名入りの赤いテープが貼ってあった。

中下) スポーツ、衣料関係。
卓球のピン球やラケットのラバーを買った時の袋だろうか。関西一円では変形学生服で、その名が知られた三信衣料さんの紙袋も出ててきた。何となく、上野産業会館の東側にあったような気がする。

下) 暮らし関係。
いわずと知れた、本町通りのジャスコとニチイの紙袋。SEIKOの袋は、その西側の時計店で腕時計を買った時だと思う。薬局の袋の一つには、新天地から出た所の薬屋さんの店名入りシールが貼ってあった。

 






2024/01/01 13:52:00|その他
昭和の初日の出

1979(昭和54)年1月1日(月)

当日の上野測候所、9時の気象データは、気圧1025.9hPa。気温-1.5度。
湿度100%。静穏。風速0.1m/s。雲量8。


初日の出を撮るべく、高旗林道に原付オフロードで出かけた。
当時の正式名称は「林道小山高旗線」、現在は「県道138号信楽上野線」

左) 「御斎峠跡」の石碑に着くと、三脚を構えた革ジャン姿の先客がいた。実は当方自身で、セルフタイマーで撮った。訳ではないので念のため。

中) 午前7時すぎ、笠取山 山頂の南から昇る「初日の出」を撮った。

右) 少し下から撮った御斎峠跡。先客は軽トラで、やって来たのだろうか。

1973年3月の林道開通時は全線未舗装で、部分的に舗装と拡幅が進んでいった記憶がある。この箇所は舗装出来立てで、岩肌も剥き出しの部分が残っていた。

 






2023/11/26 16:48:00|その他
大いなる旅路

モノクロネガをスキャンしていると、TV画面ばかりを撮ったフィルムがあった。画面部分が真っ白になり、何を撮ったのか分からず覚えておらず暫く放置していた。気になり明度を暗く再スキャンすると。

やはり当時、知らずして見ずしてSLファンとは言わせないくらい、絶大な人気を誇った「鉄道100年 大いなる旅路」だった。

このTVドラマは、鉄道100年を記念して国鉄の全面協力のもと制作され、本放送は1972年4月2日(日)~10月15日(日)に日本テレビ系列で放映された。10月14日(土)の鉄道100年記念日の翌日が最終回となった。

実際に見た内容は殆ど覚えていないが、C62のナンバープレートを付けたD51が走る鉄橋シーンだけは覚えている。動輪が4つのC62って?で、子供心にも印象が強く残った模様。全面協力もこの辺が精一杯で、何故に本物を走らせなかったのだろう、当時C62は北海道で現役だったはず。

前後のフィルムから1973年6月下旬ごろの撮影。フィルム内の前後のコマから外が明るい時間帯だったと思われる。トリミング前のTV画面の右側には10が写っていて読売テレビ10chの再放送なのは間違い無いところ。

YouTubeには「大いなる旅路」が何本か公開されている。小椋佳さんが唄う同名の主題歌が流れるオープニングのSL走行シーンは何種類かあって、順番が同じなのは放映期間の中期頃だと思われる。

あくまで想像ではあるが、再放送は1973年4月~10月だったと推定している。オープニングタイトルの前に撮った関西テレビ8chのバラエティらしき番組が、何かが分かれば更なる情報が得られるのだが。

 






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