汽車が走った頃
関西本線の名古屋から湊町間が、全線非電化だった半世紀ほど前。鉄道100年に始まり、湊町奈良間電化を控えて、空前のSLブームが巻き起こった。平成の時代も終わり、懐かしさを通りすぎ伝説の世界に入った、あの時代にタイムスリップする懐古鉄なブログです。
プロフィール
■ID
moni5187
■自己紹介
半世紀ほど前鉄道撮影してました
■趣味
日英中3ヵ国語web閲覧など
カテゴリー
・D51伊賀号(27)
・HM付き列車(16)
・臨時客車列車(10)
・保存機(6)
・伊賀上野駅(5)
・貨物列車(38)
・気動車列車(17)
・荷物列車(19)
・客車列車(9)
・電車列車(14)
・伊賀線(16)
・その他(4)
コンテンツ
・
D51499荷物列車と伝説の(7/3)
・
C5345交通科学館(6/10)
・
山陰乗り鉄の旅完(5/25)
・
山陰乗り鉄の旅9(5/10)
・
山陰乗り鉄の旅8(4/27)
・
山陰乗り鉄の旅7(4/12)
(一覧へ)
検索
コメント
コメントする
・
Re:C5345(6/18)
・
C5345(6/18)
・
Re:山陰乗り鉄大団円(6/6)
・
山陰乗り鉄大団円(6/5)
・
Re:混色気動車(4/29)
(一覧へ)
リンク
・
伊賀線の記憶
(一覧へ)
携帯アクセス
読者になる
メールアドレスを登録すると、このページの更新情報が届きます。
(登録する)
投票する
このページをランキングに投票できます。
(投票する)
2025/07/03 19:15:00|
荷物列車
D51499荷物列車と伝説の
ツイート
昭和48年3月、おそらく下旬。
10:45頃、伊賀上野駅に到着する下り荷物41レ。同級生宅の部屋内からの撮影。
当時、丸柱踏切は、警報機のみの第3種踏切だった。牛乳店のロゴ入りのサニトラと思しき一台が踏切待ち。時間的に母校の給食用のビン牛乳の配達だろうか。
教室に、煙突付きの石油ストーブが設置されたのは、この昭和47年から48年にかけての冬シーズン、もしくは前シーズンだったと記憶している。市内では、隙間風の多い木造の小中学校のみに設置とのことだった。
昭和の時代のお決まりで、ストーブに水を張った金盥(かなだらい)を乗せて、給食のビン牛乳を温(ぬく)めた。ある日、取り出すと瓶の底が割れて、教室の床が牛乳まみれ、になった事があった。
卒業アルバムに貼るため、母校の正門から正面玄関に向けてと、全景を自らのカメラで撮った貴重な2コマ。左隅は、用務員さんの住居。少し高い屋根が講堂。
この時のD51499も伝説の母校の写真も、不覚にもネガが失われてしまい、プリントからのスキャン。
ツイート
[
1
P /
181
P ]
次の記事 >>
<< 一つ前にもどる >>
コメントする
タイトル
*
:
コメント
*
:
名前
*
:
MailAddress:
URL:
削除キー:
コメントを削除する時に必要になります
※「
*
」は必須入力です。
[
easy my webトップ
|
HOME
|
▲ページ上部へ
]
[
easy my web
]
COPYRIGHT © 2006-2012 Igaueno Cable Television. ALL RIGHTS RESERVED.
Powered by
Loyal Planning Co.Ltd.
&
TriQ Association Inc.