我が家のとなりは射手神社です。
毎年大晦日になると氏子青年会はかがり火奉納の準備で、大きな穴を掘り、かがり火財を組んでおきます。
私は氏子青年会は卒業しているのですが、このかがり火奉納だけはずっとお手伝いさせて頂いています。
今年も、常住寺から聞こえる除夜の鐘と共に境内を明るく照らし、ご参拝の方を温めてくれます。
我が家も、紅白が終わってからあわただしく家を出て元旦詣りをしてまいりました。
その後も例年の常住寺の元旦詣り。
お寺ではめずらしいと思うのですが鳥居のあるお堂のそばにある鐘をついてきました。
本年も皆様とともによき一年でありますように(^^)
「射手(いて)神社」
第40代天武天皇の御代、射手山に勧請され、祭神は、應神天皇他十四神を合祀。1184年(寿永3年)1月源義経、範頼が木曽義仲追討のため京へ向う途中、「射手とは縁起がよい」と下馬し矢を奉納して、戦勝を祈願しました。また、西行法師も源平戦乱の時、伊勢に疎開し、度々参拝して「あづさ弓ひきし袂もちからなく射手の社に墨の衣手」と詠んでいます。なお、鳥居の左右に十三重塔があり、南側の国重文「南方塔」は、南北朝時代の作で、塔身に金剛界四仏の種子が刻まれています
常住寺(じょうじゅうじ、伊賀聖天)本堂
天台宗平野山「常住寺」。平安時代に僧尊恵が「閻魔大王」の像を当地にもたらして草創、東海近畿地蔵礼場第七番札所です。境内の県文化「閻魔堂」は、1660年(万治3年)藤堂藩二代藩主高次により生母松寿院の十三回忌に建立され、桁行3間、梁間3間、1重、入母屋造、本瓦葺の比較的小さな御堂ですが、和様を基調とした本格的な仏堂建築で、柱は丸柱で上に斗供を組み、中備に蟇股を飾り、外部は全体に弁柄塗で、部材の木口や彫刻部にも色彩が施され、内陣中央の須弥壇上で「木造閻魔坐像」を安置する「木造厨子」も又県文化です。