弥生三月、日差しが柔らかく風の尖も丸くなってきた。もう春本番かと思われるが、伊賀では「お水取り」が済まなければ、ほんまに春とはならないと言われている。逃げる二月と言われる通り過ぎ、このブログも更新できずに日だけが過ぎてしまった。開いてくれる人も殆どなく、一日一人か二人であり情けなく思っていた。興味がなく、珍しい事がないのであるから仕方ない。体調もあまり良くないし、外へ出ることも少なくなってしまった。愚痴が多くなり自ら心を暗くしていたようだが、反省して気分を変えようと思った。まだまだ怠け癖は治らず、いまだに宝くじを調べる事が無く夢を持っている。暖かくなり春の花が咲き出して、猫や鳥が恋をする時期、先日もパンダが交尾したと報道されていた。さあ、パンダが妊娠する日も近い、ここらで宝くじの番号を調べてみることにしょう。
どつこいしよ婆の起ち居や二月尽
鳥鳴いて雲やはらかき弥生入り
しだれ梅雀しきりに跳びはねて
春寒や息吹きつけてはんこ押す
春なれや歩け歩けと年寄りに
名を知って好きになりたるサイネリア
友達から頂いた鉢植えの花が卓上で咲き満ちている。名前をやっと知り、その可愛さに心が癒されている。サイネリアという花で桜草に似ている。頂いた時から満開で花期は長いようだ。母子二人、花を見て平穏な日々を喜んでいる。母にはまだまだ介護されている私、母がいるから助かった。母が居なかったらどうなっていただろう。もし母が死んでしまったら俺は………。夜中三時に母を起こし小便を採ってもらう時、年老いて動きにくいのにすまない、申し訳ないと思って泣けてくる。九十二歳の母にいつまでも世話にならなければならない自分が情けなくなる。母には感謝の念で一杯でありながら母を怒らせてしまうことがある。大分心が穏やかになったと思って居るがまだまだダメである。デイサービスの利用者の一人として、忘れられたり、待つ辛抱を余儀なくされることがあっても我慢でき、随分心が丸くなった気がする。しかし、まだまだチョッとしたことで腹を立て、大声を発することもある。声を荒げることをしないよう気を付けなければ丸くなったとは言えないだろう。65歳とは言え、社会へ出たことがない私は人として成長していないようだ。