なべ重 つれづれ草

つれづれなるままに、日暮らしコンピュターにむかいて、心に移りゆくよしなし事を、  勝手気ままに、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
 
2010/02/11 10:19:22|スリランカの旅
スリランカの旅 22
スリランカ大使館から2月7日東京でスリラン
 
カ独立記念式典に招待を受け参加する。
 
元明石国連大使と記念撮影、少しアドバイス
 
を受ける。
 
鈴鹿国際大学アーナンダ・クマーラ教授が
 
色々な国のお祝いメッセージを日本語で同時
 
通訳。サリーを着た女性はとても鮮やかで会
 
場に文化の華をさかせた。
 
懇親会の席上、本場のカレー料理や紅茶は
 
日本では味わえない味だった。
 
又、大使や一等書記官など色々な人と名刺
 
換などする。
 







2010/02/05 21:43:49|芭蕉の句
芭蕉 2月の句
元禄元年(1688)季語は「冬籠り」旅ばかりしていた、芭蕉に
 
とっては住み慣れた自分の草庵は何よりの安らぎの場所で在
 
り、ふだん何も思わなかった柱さえ愛しく思っただろう。
 
この句の前年1687年(45才)同じ芭蕉生家で、有名な句「古
 
里や臍の緒に泣としの暮」と詠んでいる。
 
また1686年(43才)「古池や蛙飛びこむ水の音」と詠み、16
 
89年芭蕉46才「おくのほそ道」と旅立つている、この年前後
 
3、4年は芭蕉翁人生の円熟した「わび、さび」の完成された俳
 
句の時代だと私は思う。







2010/02/04 1:55:27|スリランカの旅
スリランカの旅 21
ラタラ芋の収穫風景と広々としたテスト農場、
 
NPO法人TFG(タランガ フレンドシップ グル
 
ープ)市川事務局長がスリランカ支援として立
 
ち上げた事務局で、数年前からテスト農場を
 
支援して色々なボランティア活動をしている。
 
私は将来、この農場でマイエンサを大量に生
 
産する工場を立ち上げ、スリランカ農業の支
 
援と普及活動に努力し。出来れば毎年スリラ
 
ンカを訪問して、井戸水など安心して飲料で
 
きる水を作りたいと大きな夢を持っている。







2010/02/02 23:42:52|スリランカの旅
スリランカの旅 20
スリランカ テスト農場の”RATALA”ラタラ芋。
 
1月中旬マーネル様からメールが送られてき
 
た。左側写真は化学肥料使用、中央写真「マ
 
イエンザ」使用、右側写真は肥料未使用。
 
又マイエンザ使用するとタンパク質は多く含ま
 
れ、異国の土壌の異なる地でも大きく育ち、
 
素晴らしい結果は出ました
 
でも今年は異常気象で雨は多く早く収穫した
 
で、完全に大きく育っていないと言ってい
 
た。
 







2010/01/29 22:32:09|スリランカの旅
スリランカの旅 19
6回目スリランカ訪問二番目の大きな目的
 
スリランカで「マイエンザ」(元えひめAI−2)
 
の普及活動です。4年前からメッタ幼稚園でテ
 
スト的に製造、普及活動をしていますが本格
 
的な畑で使用するのは初めてです。
 
今回、三重県鈴鹿国際大学の教授に頼まれ
 
スリランカ ワラカーポラ市テスト農場で「マ
 
エンザ」の製造方法、使用方法など詳しく指
 
導しきました。スリランカは昼間気温30度
 
以上になり製造には適した温度になります
 
が、訪問したときは雨季の時期で温度管理に
 
苦労しました。
 
テスト農場では芋の一種ラタラを栽培してとて
 
も壮大な農場で驚きました