なべ重 つれづれ草

つれづれなるままに、日暮らしコンピュターにむかいて、心に移りゆくよしなし事を、  勝手気ままに、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
 
2012/09/22 1:52:54|スリランカの旅
8回目のスリランカ訪問 3
  今回スリランカ訪問は私しは「NPO法人TFGグループ」の
 
皆さんと北西州低開発村でイベントに参加、シナモンの苗木
 
植林、国際文化交流活動に参加しました。
 
この地域に日本人が訪れるのは初めてだと聞き、最初多くて
 
も50人ぐらいと思っていましたが、子供から大人まで約150
 
人ほど集まり、太鼓や踊りで歓迎ムード一杯でした。
 
又、その地域でシナモンの木を植林して何かの収入の手立て
 
として自立支援協力なればと思いました。
 
スリランカ シナモンは有名で高価な商品です、コレストロール
 
げ血管を若返らせ老化を防ぎ身体にとても良いそうです







2012/09/20 1:39:33|スリランカの旅
8回目のスリランカ訪問 2
何度もスリランカに行くが、やはり一人で行くには不安を感じ
 
る。 成田発であれば直通9時間寝ている間にスリランカに着く
 
が、今回チケットの関係上名古屋セントレア国際空港9時50
 
分フライト、香港で約4時間ほどの乗り継ぎ時間があり、香港
 
発15時55分。 又、シンガポールで1時間機外に出て機内
 
除、スリランカに到着が22時20分とてもつかれました。
 
時差が3時間30分もあり頭の中は時差ボケで時間の計算が
 
出来なり、しかし出迎えのアリヤワンサ僧侶の顔を見ると元気
 
を取り戻しました。。
 
国際空港香港はやはり東南アジアのハブ空港だけあって飛行
 
機の搭乗口は80番もあり驚きました。







2012/09/19 1:05:45|スリランカの旅
鈴鹿スリランカ フェスティバル

9月13日(木)鈴鹿市文化会館でスリラン
 
フェスティバルが開催されました。 鈴
 
鹿市制70周年、スリランカ国交樹立60
 
周年記念事業として中井洽衆議院予算
 
委員長、鈴鹿国際大学学長、鈴鹿商工
 
会議所会頭、鈴鹿JA理事長、鈴鹿市長
 
鈴鹿市に関係する諸団体の代表者が
 
集い、お祝いの祝辞を話されました。 
 
2時30分からポジウム「日本とスリ
 
ランカの最近の動き」や鈴鹿市が新野菜
 
セイロン瓜(ヘビ瓜)の報告又、本場紅茶
 
シナモン ティーの試飲など色々とあり。
 
6時からワサンタ スリランカ大使を交え
 
本場スリランカから来日されたチャンナ
 
リランカ民族舞踊団公演。
 
太鼓やラッパ、鈴のリズムに合わせて
 
伝統的な異国情緒の華麗な踊り、素晴
 
らしいクジャクの踊りには本当に本物
 
の鳥になったようで感心しました。
 
又、キャンディ王国の伝統的な踊りや、
 
百獣の王のライオンの様に強いスリラン
 
カを表すダンスなど時間の経つのも忘
 
れてしまい、自宅に着いたのは11時過
 
ぎでした。







2012/09/10 1:34:52|スリランカの旅
8回目のスリランカ訪問
 まず初めにスリランカと日本の関係を書きたいと思います。
 
「日本のため池のルーツはスリランカにあった」 日本の農業を支えて
 
きたのは、長い年月をかけてつくられてきた灌漑システムと、そのすぐ
 
れたコスモンズの原則 (そこに生活する人々が中心となり、みんなの
 
財産をみんなで管理する) 社会的共通資本システムです。
 
スリランカでは、紀元前4世紀頃、最初の王国が築かれたがそれは
 
高度に発達した文明をもっていました。
 
古代王国のあと、シンハラ王国が栄え紀元前2世紀から3世紀にかけ
 
て、土木と建築に付いては世界でも比類の無い水準を保ち、1〜10世
 
紀にかけて仏教文明が花開き、当時世界で最も豊かな国のひとつでし
 
た。その豊かさを支えていたのが「ため池」でした。
 
スリランカでは高地で農業が営まれ、年2回モンスーンに見舞われます
 
が、他の時期はほとんど雨が降らないので「巨大なため池」を数多く作
 
って雨季の雨をため、農業用水と生活用水に利用し、非常に高い農業
 
生産性を誇っていました。
 
4世紀の頃、中国の僧侶、法顕(ほっけん)がシルクロードを通り仏教
 
を深く学ぶためインドに向かいますが、インドではすでに仏教が廃れて
 
いた為スリランカに渡り、当時の留学僧は仏教だけではなく、すぐれた
 
技術、政治、社会性など特に「ため池」の土木技術や管理方法を習得し
 
「高僧法顕伝」として中国に持ち帰りました。
 
弘法大師空海(774〜835)が留学僧として長安で、2年半学び仏教
 
とため池灌漑に関する技術的知識、コスモンズの原則を学び讃岐の国
 
へ持ち帰り、朝廷に申し出て総監督として旱魃に苦しむ讃岐で満濃池
 
の大修理に821年成功させました。
 
空海はその後、四国を初めてして全国に廻って、このスリランカの灌漑
 
技術、コスモンズの法則を広めました。 現在も日本のいたる所に弘法
 
大師が杖を地面に、たたくと温泉や湧き水が吹き出たと言う話が色々な
 
場所で見かけます。
 
現在も形が変わっていても、スリランカのコスモンズの原則が生きてい
 
る、たえば各地域の水利組合、国の水資源機構だと私は思います。
 
 
 







2012/08/20 5:39:24|スリランカの旅
スリランカの旅
スリランカへ2週間旅に出ますから少しブログはお休み