関西本線の名古屋から湊町間が、全線非電化だった半世紀ほど前。鉄道100年に始まり、湊町奈良間電化を控えて、空前のSLブームが巻き起こった。平成の時代も終わり、懐かしさを通りすぎ伝説の世界に入った、あの時代にタイムスリップする懐古鉄なブログです。
 
2026/08/09 10:50:00|電車列車
奥三河の旅6

1976(昭和51)年7月22日(木)

当日の飯田測候所、15時の気象データは、気圧1012.0hPa。気温29.5℃。湿度54%。南の風。風速4.9m/s。雲量2。

左) 14:57頃、東栄駅に到着した豊橋行に乗り込んだ。タブレットがぶら下がる運転席上部の雨樋の形状から、おそらくクハユニ56002のようだ。上諏訪9:57始発で豊橋は16:38着。6時間41分に及ぶロングラン各停。

タブレットがぶら下がる運転席で画像検索すると、出てくるのは、懐かし系の鉄道ファンには、なんじゃらほいな代物ばかり。50年の時の流れを感じてしまう。

中) 15:23頃、三河大野駅で、クモハ52系の狭窓流電を殿(しんがり)にした辰野行と交換。慌てて撮ったのか柱がもろ被っている。この狭窓流電は第1次車の2両のみ。当時、豊橋方を向いていて、現在も吹田工場で静態保存中のトップナンバークモハ52001と思われる。

右) 15:28に本長篠駅に到着。当時は南設楽(したら)郡鳳来(ほうらい)町の中心的な駅。この駅にも構内踏切には遮断機は無く、警音器のみ。右隅の「いらっしゃいませ 天竜奥三河国定公園」の立て看板が、旅情をそそる。手前の車止めが開いた錆びた線路が、豊橋鉄道田口線跡。

そして、駅玄関前と鳳来町観光案内図前で記念撮影の後、2日目のキャンプ設営地に向かった。町内の何処にテントを張って、何が目的だったのかは、全く覚えておらず。次回までには思い出す予定。

つづく。

 




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Re2:奥三河の旅6
伊賀鉄道部管理人さん、コメントありがとうございます。
現在の路線情報によりますと。平日、近鉄で名古屋へ出て、JRで有料特急に乗らず名古屋から豊橋経由で飯田線に乗って日帰りとなると、始発で行って最終帰りなら飯田駅まで行けて、3分ほど滞在できるようです。乗りごたえのあるマニアックなルートで、手段がデフォの全チェック入りでは、経由を上手く選ばないと中々見つけられずでした。
伊賀上野06:12→14:40飯田(長野県)、7時間59分、経由1伊賀神戸、経由2蒲郡
飯田(長野県)14:43→21:57伊賀上野、7時間14分、経由1豊橋、経由2伊賀神戸
50年前の奥三河行きは、時刻は行き当たりばったりでも、最初から泊まりがけでしたから色々と撮れました。今となっては、名古屋〜豊橋は行き帰りのどちらかで、名鉄に乗っていたらと思います。

moni5187  (2026/08/12 18:23:06) [コメント削除]

Re:奥三河の旅6
飯田線には残念ながら未乗のままです。伊賀からは特に行きづらい故に相当に計画して行く覚悟が必要だと思っています。秘境駅の数々、渡らずの橋など今も魅力が尽きませんが、かつては旧型国電の宝庫であったり、貨物もあったり、平成初期にはEF58牽引のトロッコ列車があったなど、その頃に行っておけば良かったと思う路線ですね。
伊賀鉄道部管理人  (2026/08/12 14:53:08) [コメント削除]

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