関西本線の名古屋から湊町間が、全線非電化だった半世紀ほど前。鉄道100年に始まり、湊町奈良間電化を控えて、空前のSLブームが巻き起こった。平成の時代も終わり、懐かしさを通りすぎ伝説の世界に入った、あの時代にタイムスリップする懐古鉄なブログです。
 
2026/10/26 18:08:00|電車列車
奥三河の旅完

1976(昭和51)年7月23日(金)

米原行快速は、大府(おおぶ)駅を13:40に発車の後、名古屋駅までノンストップ。当時の金山駅は、中央西線だけの駅で東海道本線には駅がなく、近くに名鉄の金山橋駅があった。ナゴヤ球場を東海道新幹線越しに撮った後、中央本線との併走区間で、左) 0系の上りを後追いで撮影。

乗っていた車両は、高架下のガラスへの写り込みを良くよく見ると。同一幅の窓が4枚上連続していて窓の開け方がまちまち、湘南色の急行形で非冷房の153系か165系だった模様。

7と書かれた700mの距離標が写っているが、これは中央本線の東京起点から408.7km地点を示している。現在の中央本線の東京駅から名古屋駅の営業距離は、396.9km。塩嶺トンネルで辰野経由で無くなった他で、実距離短縮後でも距離標は旧のまま同一地点にあるようだ。

名古屋駅に13:55に到着の後、近鉄名古屋14:11発の鳥羽行急行に乗った。中) 桑名駅に停車中の14:34ごろ、近鉄養老線(現 養老鉄道)の大垣行を撮影。左奥には関西本線の貨物列車の車掌車。右上は、現在も赤福と並ぶ伊勢名物の岩戸屋の生姜糖(しょうがとう)の広告入り、のりかえ案内。

右) 近鉄富田駅で14:42ごろ、三岐鉄道モハ120形の旧塗装の保々(ほぼ)行を撮影。15:38に伊勢中川駅に到着。顧問の先生らは、15:43発の東青山行普通に乗ったはず。当方らは、16:05発の上本町行急行に乗り、伊賀神戸に16:38着(名張は16:45着)。近鉄伊賀線(現 伊賀鉄道)で、通学帰りと同じくの、伊賀神戸16:41→17:08上野市17:32→17:40伊賀上野。

本長篠を11:32に発車後、17:40に伊賀上野に到着するまで、電車を6本乗り継いだ、6時間8分に及ぶ奥三河からの旅が、ようやく完となった。

 





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