関西本線の名古屋から湊町間が、全線非電化だった半世紀ほど前。鉄道100年に始まり、湊町奈良間電化を控えて、空前のSLブームが巻き起こった。平成の時代も終わり、懐かしさを通りすぎ伝説の世界に入った、あの時代にタイムスリップする懐古鉄なブログです。
 
2025/12/19 19:03:00|伊賀線
イベント列車今昔
2025年は、2月のキハ75の実証実験に始まり、今月のはなあかりの実証実験で終えた感のある、関西本線(やま線区間)。キハ75は定員100名x2回、はなあかりは定員約50名x3回で、今年の延べ利用者は約350名

昭和48年、SL臨時客車列車が毎週走った際は、どうだったのだろうか。当方が撮ったD51906今川号の様子、ほかを元に試算(私算)してみた。

写真は、1973(昭和48)年6月3日(日)、旧客8両編成の今川号の乗客が、伊賀上野駅の1番のりばでモニ5181形3両編成の伊賀線に乗り込む様子。右隅に写っているのは、交換した下り荷物列車から降ろされた手小荷物。次の上野市行の手小荷物室に積み込むのか、うず高く積み上がっている。ホーム西端からの様子は、D51今川号の一コマを参照。

モニ5181形の定員は80名。1グループが子供2人に大人1人として、子供3人で大人2人の定員換算すると、1両あたり大人34名+子供68名=102名、3両で306名。この一日だけで約300名の方々が、忍者屋敷と白鳳城や俳聖殿、新天地ほかの市内観光に訪れた計算になる。

1973年の3月初から、無煙化される10月1日までの日祝は37回で、客車は6〜8両編成、客車1両の定員は約80名で、37x(480〜640)。今年と比べると、驚くべきことに2桁違っていて、約17,760〜23,680名もの多くの方々が、臨客に乗って関西本線(やま線区間)に訪れた計算になる。

全列車満席でなかったにせよ、更に平日も走った訳で、何万人単位だったのはサバ読みせずとも確実。古き良き国鉄(JNR)と近鉄時代だったから。だけで済ませて良いのかと、ふと思うところである。

JR西日本から 2024 年度区間別平均通過人員(輸送密度)について
の発表があり、関西本線の亀山〜加茂は978人/日に急回復した模様。活性化や利用促進策が実ったのか、2023年度は942人/日。

余談で悲報になるが、去年7月1日の東海ラジオ上野中継局の休止に次いで、12月15日からCBCラジオ上野中継局(1485kHz)が休止になった。

CBCラジオの AM局の運用休止に係る特例適用措置の適用について
を参照、実証実験とのことだが、要は聞けなくなって文句が付かないかを検証して、後に正式に廃止届が出されるのだと思う。残るは上野桑町のNHK上野中継局(1161kHz)のみ。時代の流れを、過ぎゆくままに感じる2025年末になった。

 




     コメント一覧
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Re2:イベント列車今昔
コメントありがとうございます。
関西でのSLブームの牽引役は関西本線だった。という話は、現在なおWebで写真が公開され続けられている事から本当だと思っていました。改めて試算すると真実だったようです。
10時前のかすが交換に続いて、普通列車は10時半11時半ともに伊賀上野交換で、その間に貸切の伊賀線を走らせるのは可能だったようです。忍術ブームの牽引役とされる、奥瀬さんが上野市長でしたし。関西テレビ制作の仮面の忍者赤影も、まだ再放送していたと思います。

moni5187  (2025/12/21 12:30:29) [コメント削除]

Re:イベント列車今昔
今年は近年になく山線が賑わった年でしたね。趣味的にも楽しめたのと共にあらためて考えさせられることも多かったように思います。さて。SL臨客が走った頃との詳細な考察ありがとうございます。今とは比較にならないほどの沢山の利用者があり、その多くが伊賀上野を観光していたと思えば、時代や人々の嗜好は違えどまだまだ地域と鉄道を活性化させる可能性がありそうです。それと臨客に合わせて柔軟に対応していたであろう伊賀線にも驚きますね。車両や人員に余力があればこそですが、こういうことが出来るのはいい循環があったことの証でしょうね。
伊賀鉄道部管理人  (2025/12/21 7:45:40) [コメント削除]

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