関西本線の名古屋から湊町間が、全線非電化だった半世紀ほど前。鉄道100年に始まり、湊町奈良間電化を控えて、空前のSLブームが巻き起こった。平成の時代も終わり、懐かしさを通りすぎ伝説の世界に入った、あの時代にタイムスリップする懐古鉄なブログです。
 
2026/03/29 19:37:00|電車列車
完・つくば科学万博の記憶

4日目。夕方前、会場を後にして連節シャトルバスで万博中央駅へ向かい、415系の臨時快速エキスポライナー上野行に乗った。朝ラッシュ以上の超満員の中、乗客をかき分けて進むアイスクリーム屋さんがいた。

連節シャトルバスは、北ゲートから出ていて、茨城県道123号(エキスポ大通り)を東進、学園西交差を右折、県道123、244、274号(学園西大通り)を南下、万博中央駅へ。ただし、以上は現在の名称。中) 国土地理院の空中写真 CKT844-C7-39(昭59)/12/13土浦を右に、CKT844-C7-38(昭59)/12/13土浦を左に並べ、立体視できるように加工。学園西交差には、くの字のバス専用高架があった。右上の道路の地下が現在のTXつくば駅。

関東鉄道の常総線と竜ヶ崎線が非電化で、つくばエクスプレスの守谷以北と常磐線の取手以北が交流電化なのは、石岡市柿岡の「気象庁地磁気観測所」での観測への悪影響を避ける為とのこと。直流電化だと常に同じ方向に磁場が発生してしまう。のは何となく想像は付くのだが。

上野から東京に着き、友人が親戚宅に行くとのことで、1人時間を潰した。乗るはずの大阪行の、寝台「急行銀河」の乗車セットを買ったが、戻ってきた友人が1人で乗ればと言い出し、払い戻して東京駅改札内で夜を明かすことに。見回りの駅員さんに見つかり、銀の鈴の中央待ち合わせ場所あたりに集められ、他にも数十人はいて、「今日はこれだけです」と上司に報告していた。まだまだ、夜行列車が健在な国鉄時代ゆえの粋な計らいだった。

5日目。急行銀河に乗らなかったし、名古屋まで東海道線の鈍行(快速)を乗り通そう。という事になり下り始発に乗った。おそらく113系で、乗り継ぎは熱海駅、静岡か浜松、豊橋で、対面乗り換えで連絡は良かった。

左) 全く別の日1976年7月、豊橋に到着する東海道線下り。右) 同日の名古屋に到着直前のナゴヤ球場。つくばからの帰りも同じ光景を見たはず。

現在のWeb乗換案内では、東京始発の東海道線下りを乗り継げば、名古屋には正午ごろ着。手持ちの1973年3月の時刻表では、13時半ごろ着。1985年3月では、その中間だったと思われる。後に友人が言うには、近郊型で6時間以上はとてもで、豊橋から新幹線に、と痺れを切らしていたらしい。

取手での一発台の失敗に懲りず、名古屋駅前でも「ニュージャパン」というパチンコ店に入った。「フィーバー10スペシャル」を打つと、最後の一発が回転チェッカーに入賞。ジャラッと出た玉を保留して待つと、ラッキーにも7が揃った。ミニドル箱に満杯だったが、往年の名機「ゼロタイガー」で最後の一発がVゾーンに入った程度の出玉で、景品は率の良い食料品他に。

近鉄名古屋から毎時31分発の中川行急行に乗り、伊勢中川の4番5番ホームで、毎時03分発の上本町行(快速)急行に乗り換え、桔梗の駅から友人宅に。名張街道で家に着いたのは暗くなってから。後日、景品のツナ缶を開けると油が固まっていてアレだったが、賞味期限内で味に全く異常はなく、フィルムの現像を何処に出そうとかと思った。そして思い続けてしまい…。

完。

 





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