関西本線の名古屋から湊町間が、全線非電化だった半世紀ほど前。鉄道100年に始まり、湊町奈良間電化を控えて、空前のSLブームが巻き起こった。平成の時代も終わり、懐かしさを通りすぎ伝説の世界に入った、あの時代にタイムスリップする懐古鉄なブログです。
 
2026/07/24 19:18:00|電車列車
奥三河の旅5

1976(昭和51)年7月22日(木)

当日の飯田測候所、9時の気象データは、気圧1016.4hPa。気温23.7度。湿度75%。南の風。風速0.9m/s。雲量8。

右中左) 御園天文科学センター近くでテントを張った翌朝の様子。伝説の母校の長袖体操服から、寒いぐらいだったようだ。右隅にサマーベッドが写っているが、別グループのテント。おそらく、天体観測用にテント持込み型キャンプ場だったと思われるが、正確な所在地は依然として不明。

右上左) 御園バス停で本郷行を待つ集合写真。当時表屋園さんは、よろず屋でもあり、昼に冷やし中華を注文したが中々出てこず、見に行くと胡瓜を刻んでいて、顧問の先生が一本遅らすかと言ったのは、この店だったかも。何とか間に合い、アイスを食べての撮影。影の方向から13時前後。

右下左) (現 県道74号阿南東栄線)左ヘアピン前の下り込みから橋場バス停を望む。当時は山間部の狭窄路でも、大きなワンマンバスが活躍。

中) 国土地理院の空中写真 CCB7617-C21-9中津川1976/10/08(昭51)を加工した物。合宿から約2ヶ月半後の、本郷の街並みが綺麗に写っている。豊橋鉄道株式会社 設楽営業区 本郷出札所は、記念写真の表札の真上の水色の建物。二階建てで南向きに玄関があるバスセンター。右に豊鉄バスらしきが写っている。現在は、東栄町コミュニティセンター結の里

左) 東栄駅に14:15頃到着した辰野行。前面の吸気ガラリの下部の取手の位置と幅から、おそらくクハユニ56004と思われる。豊橋12:37発で辰野着は19:21。6時間44分にも及ぶロングラン各停は、飯田線ならでは。

右上右) 国土地理院の空中写真 CCB7617-C23-9中津川1976/10/08(昭51)を加工した物。中央に横長で灰色屋根の東栄駅舎。玄関は西向きの豊橋方にあり、昭和な電話ボックスと郵便ポストを見ながらの記念写真。

奥の駅待合には、飯田線沿線ほかへの料金表があり、右の出札から改札を入ると遮断機が無い構内踏切があった。豊橋方面行は構内踏切は通らず、辰野方面行の到着(急行は通過)の際だけ警報機が鳴って、常駐の駅員さんが、気を配っていた筈で、おおらかな国鉄時代ゆえに可能だった模様。

つづく。

 





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