関西本線の名古屋から湊町間が、全線非電化だった半世紀ほど前。鉄道100年に始まり、湊町奈良間電化を控えて、空前のSLブームが巻き起こった。平成の時代も終わり、懐かしさを通りすぎ伝説の世界に入った、あの時代にタイムスリップする懐古鉄なブログです。
 
2026/09/27 21:03:00|電車列車
奥三河の旅9

1976(昭和51)年7月23日(金)

右) 飯田線の旧国が豊橋駅に到着する手前、豊橋区に留置された旧型国電群を撮った。真ん中に鎮座するのが流電ことモハ52系。豊橋方を向いていた広窓車で、おでこが張り上げ屋根は、クモハ52003のようだ。

右のスカ色で湘南窓は、80系のクモニ83100番台の、クモニ83101、もしくはクモニ83102と思われる。左隣の茶色で貫通扉のない二窓車は、車体中央部に屋根がない、配給車のクモル23050のようだ。

中) 現在も、名鉄がJR豊橋駅に乗り入れる形となっている。その3番のりばで名鉄5200系を撮った。スキャンすると、名鉄スカーレットがマゼンタに変色していて、RGBのレベル調整では上手く補正できず、更に赤色の色相と彩度を調整した。元々の塗装が色褪せていた可能性もあるが。

左) 続いて、パノラマカー名鉄7500系も撮った。名鉄7000系のような保存車は現存せず、真の伝説の車両。見分け方は、パノラマ席の後ろも同じ高さに低床化され屋根も低く、7000系より運転室が高く見えること。

右右下) 同じくマゼンタに変色していて、全体にホワイトバランスを合わせる途中の状態。やはり4番のりば側の柵と電柱が邪魔で、AIは使わず画像編集ソフトを駆使して撤去したのが、左)。このような低い柵は実在せず、あくまでお遊び。終日の手作業で2〜3週間ほど要した。


4番のりばの時計が12時58分を示している。本長篠から乗った飯田線の豊橋着は、手持ちの1973/4の時刻表では12:28で、1976年もあまり変わっていない筈。とした根拠の一つでもある。

つづく。

 




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Re:豊橋駅
伊賀鉄道部管理人さんコメントならびに、旧吉田駅の情報ありがとうございます。
豊橋駅は、東海道(新幹)線で数回通ってますが、ホームに降り立ったのは、この時っきりで駅の外には出ておらずです。上野市駅の駅舎は1922(大正11)年の竣工が有力とされ、豊川鉄道の吉田駅のデザインを踏襲したそうですが、名鉄の前身の愛知電気鉄道が豊川鉄道の線路を借りて、豊橋駅に乗り入れたのが1927(昭和2)年とのことで、あの絵葉書は昭和初期とされてますし。吉田駅があの形に改築されたのは、大正末頃ともされていますし。どちらが先かは微妙なところですが、現存は上野市駅ということで。

moni5187  (2026/09/28 21:07:00) [コメント削除]

豊橋駅
2年くらい前、縁あって頻繁に通いました。名古屋からは名鉄一択でパノラマSuperの最前列を狙ってました。豊橋駅はJRに名鉄、豊橋鉄道も乗り入れる一大ターミナルで楽しいです。飯田線が私鉄時代に旧吉田駅を名乗ったそうですが、それご上野市駅の駅舎とそっくりだったと知ったのは驚きでした。
伊賀鉄道部管理人  (2026/09/28 18:33:55) [コメント削除]

Re:旧電
ぽっぽちゃん様、コメントありがとうございます。
到着手前で徐行中の非冷房の旧国の車内からですから、こういうのが撮れたのだと思います。次と次々コマを見ると部員らは東海道下りホームで待っているのに、まだまだ時間があるからと、名鉄ホームに撮りに行ったようです。

moni5187  (2026/09/28 15:26:26) [コメント削除]

旧電
豊橋区の旧電がずらりと並んで壮観ですね!
飯田線旧電が残っていて、旅をしていると沿線の景観と合って良い旅気分だったでしょうね!

名鉄パノラマカーの名車も・・・

ぽっぽちゃん  (2026/09/28 13:44:45) [コメント削除]

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