ショート・ショート 人生管理システム
あるところに、神様が「人生管理システム」を導入した星がありました。
その星の住人は、生まれた瞬間に「努力ポイント」という通帳を渡されます。汗をかけば貯まり、涙を流せば利息がつく。一定額が貯まれば、誰もが「成功」という商品と交換できる……はずでした。
夢の自動販売機
エヌ氏は、この通帳の熱心な預金者でした。 幼児期には筆を握って「天才画家」のスタンプを押し、学生時代にはバットを振って「将来の主軸打者」のボーナスポイントを稼ぎました。さらに、キッチンカーで油にまみれながら、コツコツと「独立資金」という名の数字を積み上げたのです。
「これだけ貯まったんだ。きっと、ものすごい見返りがあるぞ」
彼は期待に胸を膨らませ、街角にある「人生引換所」へ向かいました。そこには最新鋭の自動販売機が並んでいます。 エヌ氏は、三十年分、いや人生のすべてを注ぎ込んだ通帳を機械に差し込みました。
『ピロリロリン!』
陽気な音が鳴り響き、取り出し口に小さな紙切れが落ちてきました。 エヌ氏は震える手でそれを拾い上げました。
「ハズレ。次の人生にご期待ください」
「そんな馬鹿な!」 エヌ氏は叫びました。 「私は三十年も宝くじを買い続け、二十年も芸を磨き、血の滲むような努力をしたんだ! なぜだ!」
すると、隣の販売機に一台の高級車が横付けされました。中から出てきたのは、いかにも不真面目そうな若者です。彼はあくびをしながら、金色のカードを機械にかざしました。
『ジャラジャラジャラ!』
機械からは、溢れんばかりの金貨と、最高の美貌、そして何もしなくても一生遊んで暮らせる「永久保証書」が吐き出されました。
「おい、君!」エヌ氏は若者に詰め寄りました。「君は一体、どんな努力をしたんだ?」
若者は不思議そうに首を傾げました。 「努力? なにそれ。僕はただ、親が持ってた『VIP継続カード』をかざしただけだよ。先祖がその昔、このシステムの開発者に土地を譲ったらしいんだ。それより、おじさんのその紙クズ、珍しいね。記念に一枚くれない?」
システムの真相
エヌ氏は絶望し、空を仰ぎました。 「神様、あんまりです! 努力が報われないなら、この通帳は何のためにあるんですか!」
すると、空の彼方から、事務的な声が響いてきました。
「おや、まだ気づかないのかね。その通帳は『成功を保証するもの』ではない。『退屈を紛らわせるためのゲーム機』なのだよ。
皆が最初から諦めてしまっては、この星の経済が回らない。君たちが必死に夢を追い、無駄な努力をしてくれるおかげで、VIPの方々の配当金が支払われる仕組みになっているんだ。
ちなみに君が三十年買い続けた宝くじの代金は、あそこの若者が乗っている車のガソリン代として、有効に活用させてもらったよ。感謝してくれたまえ」
エヌ氏は膝をつきました。 手元に残ったのは、もはや一円の価値もない、使い古された絵筆と、小さなバットと、キッチンカーの鍵だけ。
しかし、ふと見ると、同じように「ハズレ券」を握りしめた人々が、街中に溢れていました。彼らは互いのハズレ券を見せ合い、「俺の方が惜しかった」「私の努力の方が美しかった」と、妙に晴れやかな顔で語り合っています。
エヌ氏も、ふと苦笑いをもらしました。 「……やれやれ。どうせハズレるなら、もう少し格好いい負け方を研究するとしよう」
幸福の精算
あれから数十年。かつての若者は「VIPな老人」に、エヌ氏は「ただの老人」になっていました。二人は偶然、海を見下ろす丘にある、最高級の老人ホームで再会しました。
エヌ氏は相変わらず無一文でしたが、長年のキッチンカー生活で培った「どんな残り物でも最高のご馳走に変える技術」を認められ、ホームの厨房顧問として特別に無料で招かれていたのです。
一方、金色のカードを持っていた若者は、先祖の遺産を使い果たすことなく、文字通り「最高の医療」と「最高の介護」に囲まれて暮らしていました。
ある晩、二人はテラスで並んで座りました。
「おい、エヌさん」 元若者が、震える声で言いました。 「私はね、後悔しているんだ。一生、何も思い通りにいかなかったことがない。欲しいものはすべて手に入り、努力という言葉を辞書で引く必要もなかった。だが、晩年は、私の記憶には何の手応えもない。滑らかな絹の上を滑り落ちてきたような人生だった」
エヌ氏は、節くれだった手で安物のパイプを燻らせて言いました。 「私はその逆ですよ。絵を描けば落選し、バットを振れば空を切り、キッチンカーはパンクしてばかりだった。私の人生は、思い通りにいかないことの集大成です」
「それが羨ましいんだ」 元若者はため息をつきました。 「君には、心から『欲しかったもの』がある。手に入らなかったからこそ、その形がくっきりと記憶に刻まれている。私には、その形すら見えないんだ」
その時、施設に備え付けの「全知全能AI」が二人に語りかけました。 『皆様、お知らせです。この度、当施設では「人生の最終精算サービス」を開始しました。死の間際に、ご自身の「満足度」を数値化し、天国への持ち出し資金に変換できるのです』
元若者は目を輝かせました。 「これだ! 最後に、私の人生の価値を証明してもらおう。これだけの資産と地位を維持したんだ、満足度は最高値のはずだ」
二人は機械に手をかざしました。 まず、元若者の結果が出ました。
【満足度:0.01%】 『理由:すべての欲求が即座に満たされたため、脳が「幸福」を検知する感度が麻痺しています。あなたの人生は、ただの「維持」であり、「獲得」ではありませんでした』
元若者は絶句し、車椅子の上で崩れ落ちました。
次に、エヌ氏の結果が出ました。
【満足度:99.9%】 『理由:あなたは絶望の淵で「明日こそは」と願い続けました。その「願っている時間」こそが、脳にとって最大の報酬系として機能していました。特に、三十年間外れ続けた宝くじの当選番号を確認する瞬間のドキドキ感は、銀河系でも稀に見る高エネルギーを記録しています』
エヌ氏は驚きました。自分の不遇な人生が、最高級の幸福としてカウントされていたのです。
「……皮肉なものだな」 エヌ氏は笑いました。 「私の人生はハズレ券の山だったが、その券を握りしめていた時間の熱量だけで、私は誰よりも贅沢な人生を送っていたというわけだ」
その時です。AIが補足を付け加えました。
『……ただし、一点。エヌ様。あなたの満足度が高すぎたため、天国での「お楽しみ枠」はすべて消費済みとなっております。次回の人生では、調整のために「何をやっても上手くいく、退屈なVIP」のコースが割り当てられる予定です』
エヌ氏は顔をしかめ、元若者は顔を上げました。
二人は顔を見合わせ、同時につぶやきました。
「それは、勘弁してほしいな」
丘の下では、変わらぬ青い海が、不条理なほどキラキラと輝いていました。
彼は再び、一文にもならない絵筆を拾い上げました。 この星の空は、今日も不条理なほど、突き抜けるように青いのでした。