『おかしな世界の、まっすぐな青空』1/4話
その世界に一歩足を踏み入れたとき、私はまるで、誰も言葉の通じない見知らぬ異国に、たった一人で放り出されたような気分だった。
そこは、社会の隅っこで一生懸命に生きている人たちが、お互いに肩を寄せ合う温かい場所――のはずだった。少なくとも、血気盛んだけれども世間知らずな私は、そんな美しい絵の具で描いたような夢を抱いて、この世界の扉を叩いたのだ。
ところが、現実はどうだろう。 そこに漂っていたのは、お世辞にも爽やかとは言えない、どんよりとした重い空気だった。
この業界では、誰もが「先々の夢がない」とため息をつく。お給料が労働に見合わないとか、そんな現実的な理由もさることながら、一番の理由はきっと、心の中にきらめく星を見失ってしまっているからだ。毎日がただの「作業」になり、明日へのハシゴがどこにも見当たらない。
そんな閉塞感に満ちた場所に、右も左も分からない、けれど心だけは一丁前に熱い「素人」の私が飛び込んだのだから、おかしな摩擦が起きないわけがなかった。
「私はこういう人間で、これまではこんな仕事をして、こういう場所に住んでいまして……」
まずは仲良くなろうと、私は精一杯の笑顔で、自分の引き出しを全部開けて自己紹介をした。プライベートな話をあけすけに話すことが、親愛の情のしるしだと信じて疑わなかったからだ。
ところが、相手の反応は冷やや か。 彼らは自分のことは何一つ話そうとせず、ただじっと、冷たい硝子玉のような目でこちらを観察している。まるで、新しく入ってきたおかしな生き物の目方を量る、意地の悪い天秤のように。
「ふうん、そんな大層な経歴があって、どうしてこんな泥臭い仕事に来たわけ?」
言葉には出さずとも、そんな心の声がアリアリと透けて見えた。 それだけならまだしも、彼らは新入りの私に対して、これでもかと「先輩風」を吹かせてくるのだ。
「あ、そこ、やり方が違う。マニュアルの3ページ目、ちゃんと読んだ?」 「そんな甘い考えじゃ、ここではやっていけないわよ」
彼らが躍起になってマウントを取ろうとする姿は、滑稽であり、同時にひどく哀れでもあった。誰かより優位に立つことでしか、自分のプライドを保てないのだ。他人の小さな欠点や、粗探しをしては鬼の首を取ったように指摘する。そうやって「私はあなたより分かっている」というお城の中に閉じこもり、必死に自分を守っているようだった。
私は、深い疎外感に包まれた。 みんなで力を合わせて、お客さんたちを幸せにするんじゃなかったの? どうして、味方同士でトゲを突き合わさなきゃいけないのだろう。
悲しくて、ちょっぴり悔しくて、私は夜空を見上げた。
だけど、そこでメソメソと泣いて引き下がるような私なら、最初からここへは来ていない。森村桂の描く主人公たちのように、不器用だけど、まっすぐにしか歩けないのが私なのだ。
私は、私を値踏みする冷たい視線に向かって、心の中でそっと正論を突きつけてみる。
ねえ、先輩。あなたのそのプライドは、一体誰のためにあるのですか? 新入りの粗探しをして、自分を大きく見せることに、どんな未来があるというのですか?
私たちが本当に目を向けるべきなのは、お互いの欠点ではなく、お越しいただいたお客様たちの笑顔のはずです。 給料が安いから、先々の夢がないからと腐る前に、目の前の人を幸せにしようとするその瞬間にこそ、私たちの「夢」は生まれるんじゃないでしょうか。
泥の中にだって、綺麗な蓮の花は咲く。 それなら、このどんよりとした環境の中に、私が爽やかな風を吹き込んでみせよう。
マウントを取られても、私は笑顔で「ありがとうございます!」と返してやるのだ。意地悪をされたら、それ以上の親切で返してやる。
だって、おかしな世界に染まって、自分までおかしな人間になってしまったら、それこそ本当の負けだから。
私は私の靴で、私の歩幅で、このまっすぐな道を歩いていく。いつか、あの冷たい天秤の針を、心地よい感動でひっくり返してやる日を夢見ながら。